「四日市公害と環境未来館」夏休み盛況!
2015 08110014夏休みも終盤に近く、館内は小中学生の姿が多く目に付きます。先生から出された宿題プリントや自由研究の課題にと、熱心にメモをとっています。比較的低学年の女児が「証言映像」コーナーで、谷田さんのお話に聞き入っている後ろ姿は感銘を受けます。10月頃からは5年生の社会で「四日市公害」が扱われることになります。いよいよ忙しくなりそうです。入館者は現時点(8月20日)で37,000人を越えています。「数」だけが成果ではありませんが、まずは賑わいがなければ意味がありません。市民塾でも案内をいたしますから、ご希望の方はご連絡下さい。
◎ 中国・天津市で大爆発事故が起きています。死者が114名と報じられていますが、ここは四日市市と「友好都市」提携を結んでいる都市です。田中市長は支援の「協力」をしたいと言っていますが、四日市の石油化学コンビナートの「対策」は大丈夫でしょうか。爆発物が保管されていたりガス管が埋設された四日市に、危険がないとは言い切れません。消防による点検をぜひお願いしたいものです。

「四日市公害を忘れないために」市民の集い2015 大盛況!(7月20日)
1972年7月24日の「四日市公害訴訟判決」の日から間もなく43年になります。今回の「市民の集い」は「四日市公害と環境未来館」開設と2015 07200046併せた記念行事でもありました。四日市市と市民塾の「共催」となってから3回目ですが、参加者は最多となりました。会場の「講座室」は定員80名ですが、定数の机以外にイス席も設け入口のドアを開けて立ち見の人も出るほどでした。掛け値なしの「100名」と新聞にも出ました。 
①映画
は画質こそ荒れてはいたものの当時の苛酷な四日市のようすが映し出され、初めて見る人がほとんどで刺激的でもあったようです。 ②柏木秀雄さんのお話はデータを用いながら公害発生の原因究明や、患者の治療など50年前の労苦がしのばれました。往時のスライドでは塩浜小中学校の校舎も映されて、懐かしがる参加者も見えました。 ③語り部トークはあまり時間はなかったのですが、澤井さん野田さんのお元気な語りに聴衆も勇気づけられているようでした。 
行政と市民団体によるコラボは成功裏に終えることが出来ました。関係者の皆さま、ご苦労様でした。そしてありがとうございました。facebookもごらん下さい。

「四日市公害と環境未来館」みどころ案内。
2015 05310024「四日市公害」はなぜ発生したのか。基本的には「石油化学コンビナートの工場の排煙→亜硫酸ガスが人体の呼吸器を冒した」ということです。しかし、それらをさかのぼっていきますと「四日市市のまちづくり」にたどり着きます。そこには「戦争」との大きなつながりがあります。塩浜の第1コンビナートは戦時中の「第2海軍燃料廠」跡地に建設されたのです。燃料廠は「軍事施設」であったがために米軍機からの攻撃にさらされ壊滅状態、焼け野原となった跡地が戦後、民間会社に払い下げられたわけですから戦争の申し子のようなものです。
その「四日市空襲」は1945(昭和20)年6月18日から8月8日まで、断続的に延べ9回おこなわれました。トータルで死者808人、約5万人の市民が被災しました。「燃料廠」があったから狙われたといえましょう。「四日市公害と環境未来館」にはこうした戦争からコンビナートへの流れが展示されています。空襲の映像もあります。ただし日本には「被害者」だけでなく「加害者」の責任も大きくあるわけですが、いずれにしろ戦争」は「命を奪うものであることに違いはありません。
3階の博物館展示室では6月13日~8月30日『四日市空襲と戦時下のくらし』展が開催されます。戦後70年の夏、「反戦」の決意を新たにしたいと思います。 
◎「市民塾例会」は6月20日(土)13:30から じばさん三重2階です。ご参加お待ちしています。

7・20 「四日市公害を忘れないために」市民の集い2015 に向けて。
06資料写真複写マスクかけた児童99  講演をしていただく柏木秀雄さんから、面白いお話を伺いました。映画のお話です。1968年に当時の「日活」で製作された『朝霧』という作品。公開は3年後の71年になったようですが、キャストは和泉雅子・杉良太郎・太田雅子・奈良岡朋子といった当時の一流どころ。そしてなんとロケ地が四日市。 「公害の町四日市の潮田診療所」が舞台となるのです。そこに、若き日の柏木さんがちらっと登場されるとか。ネタバレは避けますが、その頃のエピソードも交えてお話いただけるそうです。『白い霧とのたたかい』と合わせて、子ども達が黄色いマスクをかけねばならなかった四日市を、しっかりと見届けて下さい。20日(月・祝)13:00 開場。博物館「講座室」です。
◎「市民塾」7月例会も「塩浜からみた四日市公害」。タイムリーなテーマとなりました。18日(土)13:30~・「じばさん三重」へお越し下さい。
 「市民塾」の6月例会のようすが「日本経済新聞」(7/1夕刊)に掲載されました。東京から取材に見えたのですが、けっこう大きな扱いになっていました。興味のある方はfacebookをごらん下さい。(左上クリック)

「四日市公害と環境未来館」展示物あれこれ
開館以来2ヶ月以上が過ぎましたが展示物についての補足や訂正が少し施されました。その中でも壁面写真の説明プレートが付け加えられたことに注目しましょう。2階の壁面はワイアに吊された写真パネルの奧にも写真が掲示されたいますが、今回それぞれに番号を付けて2015 05240016手前の棚に設置されました。一つだけ紹介しましょう。①は澤井さん撮影の塩浜・七ツ屋のフレアスタックで、②は特定し難いのですが、次のように書かれています。「今日も煙を吐き続ける四日市コンビナート、住宅と工場が混在し当初から公害が予想されていた。1972(昭和47)年7月25日(提供・毎日新聞)とあります。具体的には三菱油化川尻工場で名四国道がまだ途中で止まっています。そして日付に注目。つまり四日市公害裁判判決の翌日ということです。裁判が「民事」であって 「差し止め」を認めていない証でもあるわけです。これ以外にも2カ所設置されています。少し小さいので目につき難いのですが、探してみて下さい。
◎ 四日市再生「公害市民塾」6月例会は20日(土)。13:30~ 「じばさん三重」2階活動室。  テーマ「四日市公害を支えた人たち」。