「四日市公害と環境未来館」みどころ案内。
「四日市公害」はなぜ発生したのか。基本的には「石油化学コンビナートの工場の排煙→亜硫酸ガスが人体の呼吸器を冒した」ということです。しかし、それらをさかのぼっていきますと「四日市市のまちづくり」にたどり着きます。そこには「戦争」との大きなつながりがあります。塩浜の第1コンビナートは戦時中の「第2海軍燃料廠」跡地に建設されたのです。燃料廠は「軍事施設」であったがために米軍機からの攻撃にさらされ壊滅状態、焼け野原となった跡地が戦後、民間会社に払い下げられたわけですから戦争の申し子のようなものです。
その「四日市空襲」は1945(昭和20)年6月18日から8月8日まで、断続的に延べ9回おこなわれました。トータルで死者808人、約5万人の市民が被災しました。「燃料廠」があったから狙われたといえましょう。「四日市公害と環境未来館」にはこうした戦争からコンビナートへの流れが展示されています。空襲の映像もあります。ただし日本には「被害者」だけでなく「加害者」の責任も大きくあるわけですが、いずれにしろ「戦争」は「命を奪うもの」であることに違いはありません。
◎3階の博物館展示室では6月13日~8月30日『四日市空襲と戦時下のくらし』展が開催されます。戦後70年の夏、「反戦」の決意を新たにしたいと思います。
◎「市民塾例会」は6月20日(土)13:30から じばさん三重2階です。ご参加お待ちしています。
四日市公害資料館
- 詳細
- 投稿者: 伊藤三男
- カテゴリ: 特集「公害資料館設立」