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四日市公害と人権(副読本)

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資料館設立への思い

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投稿者: Super User
カテゴリ: 資料集
作成日:2025年07月13日

 四日市公害と環境未来館の設置に多大なる尽力をされた澤井余志郎さんが亡くなられたのが2013年。年月が経つのはとても早いものです。長年にわたって四日市公害問題と向き合った来られた澤井余志郎さんが当時どのような信念をもって活動していたのか、このページに集めてみました。特に、以下の澤井余志郎さんが書かれた記事がその考えをしっかりとまとめられています。(2012年に書かれたもの)

① 40年という月日をどう感じているか?
 40年前の7月24日は、四日市ぜんそく公害訴訟判決があった。この日、原告患者の野田之一さんは、裁判所前の仮設舞台で「裁判には勝ちましたが、これで公害がなくなるわけではない、なくなったときに「ありがとう」と挨拶させてもらいます」と言いました。そのとき私は裁判所向かい側の市役所の屋上から写真をとっていました。裁判所前ではたくさんの人たちが「ばんざい」を叫んでいました。その場面を写そうとファインダーをのぞいたところ、敗訴した工場群の煙突からは代わることなく亜硫酸ガスを含んだ煙がはき出されいた。四大公害裁判の中で四日市は現在進行形の公害だった。野田さんは、続いて行われた記者会見で、マスコミを代表して質問したNHK名古屋のアナウンサーに「勝訴判決をもらってなにが一番うれしかったか」と聞かれ、「工場はどこもうちじやないと加害を認めなかったが、判決ではっきりと加害者は工場だと言ってくれた、今後は堂々と公害をなくせと言える、それが一番うれしかった」と言った。
 野田さんは「これからが本当の公害反対運動です。」と、万歳を叫ぶ支援者たちにメッセージを発したのですが、万歳で消えていったことで、野田さんたち公害患者の期待におうじられなかった悔しさを引きずって来ています。

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