仕事の関係で、四日市市を離れて生活しているところに突然の訃報が入り、言葉を失いました。何をどう考えたらいいのか整理がつかないまま日数がたってしまいました。

 山本さんとの出会いは市民塾に入ってしばらくしてからだったと思います。自分の考えをはっきりとを言い、公害に対する熱い思いが伝わってきました。闘う思いをもった方だなあという印象でした。最近では、同じサッカーチームに籍を置き、一緒にボールを追いかけました。とてもサッカー歴が浅いとは思えないポジショニングで、左サイドからの攻撃を仕掛けていました。練習が終わるとよく「この後、語り部があるんや!」と汗を拭きながら笑っておられました。

 野田、澤井、山本の語り部トリオが生まれ、小学校に出前講座に行くと、「加害者側のコンビナートの人が語り部におる!」と小学生が騒然とすることもありました。しかし、山本さんの語りを聞く中で、子どもたちはどうして山本さんが語り部をしているのかを理解していきました。

 山本さんは語り部講座の中で、事実を語り継ぐことと被害者の視点を持つことが大切であると話されました。たとえ、四日市公害の当事者でなくとも、被害者の方の話を聞いたり、学習を積み上げたりすることで、当事者としての感覚や新しい気づきを持つことができると話されていました。この考え方は、トリオに共通しているとても大切なことだと思います。

四日市市長森智広様

2022年3月16日
四日市再生「公害市民塾」

 日頃は四日市市政に精力的にご尽力いただきありがとうございます。
 さて、先般、発表されましたカーボンニュートラル(脱炭素化)に関する四日市市の方針に関しまして、下記のように要望させていただきますので、誠意あるご対応をお願い致します。
 去る8日、記者会見にて「カーボンニュートラル」に向けて検討委員会の設置と関連予算 (2,090 万円)を計上されたとの発表がありました。このことは市の積極的な姿勢として評価したいと思います。しかしながら、報道によれば森市長は、その運用に関しては「産業の成長」を優先し、「排出量の規制」は最後になると発言をされています。果たしてこれでは本来の目的を実現できるのでしょうか。
 本年は「四日市公害訴訟」判決 50年となります。ご存じのように四日市公害は戦後の経済成長の波に乗り、公害対策をおろそかにした結果発生しました。判決は被告企業の責任を認め「経済性を度外視」してでも、公害対策に努めるべきだと指摘しています。また行政に対しても立地上の責任を言及しています。この訴訟を契機として法規制は強化され企業努力もあって、現在の「青空」が四日市によみがえったという歴史的事実を忘れることはできません。

1,日市ぜん息公害訴訟「原告勝訴判決」(1972年7月24日)25周年を考える市民集会を機に「公害を記録する会」や、「四日市公害と戦う市民兵の会」のメンバーが中心になって1997(平成4)年7月24日に発足した。掲げた目標は、①四日市公害とりわけ公害裁判などの歴史学習 ②コンビナートヘの関心と監視 ③公害資料館設置と記録保存および活用と語り部活動 ④公害地域再生まちづくりへの参加 等である。
 なお「市民兵の会」とは裁判当時、公害患者や住民の運動に「黒衣」で助っ人として参加した、主に名古屋大学の教官・学生、あるいは小中高教員や会社員などのグループである。機関誌として『公害トマレ』を100号まで発行していた。

2,民塾例会は毎月1回(原則第3土曜日:じばさん三重 13:30〜)

3,Webサイトにホームページを開設。毎週ごとにニュースを更新。アクセスは頻繁にある。 アドレスは http://yokkaichi-kougai.www2.jp/

4,害学習用の紙資料(パンフ)や、市内小学校に配布したDVD作製。記録写真(銀塩カメラネガ)を四日市市から委託を受け2枚のCD(計2300コマ)にデジタル保存。

5,日市市・三重県内外の小中学生5年生への公害学習ガイドと語り部ボランティア。夏休み自由研究のお手伝い。

6,日市公害資料館設置に向けての資料集めおよび整備。試案作成と行政への提言。

7,害患者へのサポート。

8.日市の「あおぞら」回復のために、企業・行政・住民の適度の緊張関係を保つトライアングルの構築。


市民塾のロゴマークができあがりました。

logo1四日市公害資料館が設置されることとなり、四日市市のさらなる再生を願い、四日市の「鳥」である「ゆりかもめ」を中央に配置しました。
また、中央の灰色から青へのグラデーションにより、空、海とも再生されつつあることをイメージしています。
資料館の設置に向け、みんなの資料館となるように大いに盛り上げていきたいと思います。これから、いろいろなところにこのマークを使用していきたいと思います。

ロゴマーク作成協力 (特)ユーネットみらい

 本年7月は1972(昭和47)年7月24日の歴史的判決の日から50年となります。

 この長い時間の中で、「四日市公害と環境未来館」が開設されたのは画期的な出来事です。しかし、一方で多くの功労者がなくなったことは残念でなりません。そして人々の記憶から「公害」の事実が薄らいでいくことも否定できません。「市民塾」は1997(平成9)年の発足以来、資料保存や経験の継承作業に注力してきました。本年が「判決50年」に当たるのを機に、さらなる充実を目指して頑張っていきたいと思います。どうかご協力のほど、よろしくお願いします。

こちら市民塾№.76(紙版)より抜粋