実践交流会 参加者からの感想

三輪晃久(四日市公害と環境未来館解説員)

 四日市公害と環境未来館の解説員である私にとって、示唆に富むヒントを多々いただいた有意義な交流会となり、発表者の方々には感謝の言葉しかありません。そこから導かれた感想を以下に述べさせてもらいます。

①塩浜小の子どもたちには目前のコンビナートやそびえ立つ煙突はあることが当たり前過ぎて、少しの疑問もはさむ余地のない日常ですが、それが授業を通して、家族の人に当時の公害や学校生活の様子を聞き取りすることで、当たり前の存在が少し違って見えてくる。クラスメートの発言からさらに違った見え方も加わって、それぞれの多様性にも気づくところで、澤井さんの四日市公害との取り組み、その生き様に出会う。もし、自分がその時代に生きていたらどうするだろうと自問しないではいられなくなる。 
 「四日市公害とは何か」も大切なテーマですが、「自分が四日市公害とどう向き合うか」はもっと深いテーマだと思いました。阪倉さんの、澤井さんの生き様への問いかけとリスペクトがこの授業実践や『四日市公害と人権』のベースにあることがよく分かりました。

②最初のパンプキン爆弾の迫力に驚きました。核分裂のエネルギーが一つの都市をまるごと破壊するという人間の想像力を超える惨事に対して、原子爆弾の模型を目の前に置くことは、人間が人間として全力でこの問題に問いかける象徴のようにも思えました。また、戦争が四日市公害ともつながっていることを考えるきっかけにもなりました。
 『ソラノイト』のイトはやはり「糸」だと思います。「糸」はつながりを意味し、四日市ぜんそくの発作による尚子さんの死につながるものをたどってたどって、なぜ尚子さんは死なねばならなかったのか、その原因と隠された背景を明らかにしていくことだと思います。尚子さんに謝らなければいけないのは誰ですかという問いもそれにつながります。早川さんは日本の近代 150 年の歴史の中に四日市公害の過ちにつながる構造を見つけては、「四日市公害は過去の話ではないよ、これからも繰り返す未来の話なんだ」と警鐘を鳴らしてくれているように思います。
 「四日市ぜんそく」という言葉は耳にしても、そのすさまじい苦しみを写した写真や映像は思ったより少ないです。もし、『ソラノイト』が、公害が発生した当時出版されていたら、四日市市民の被害者への関心と支援はもっと広がったでしょうか。少数者の被害と多数者の関心と支援はどうすればつながるのでしょうか。

③四日市公害を社会科の授業の枠ではなく、人権をあつかう総合学習のテーマの一つとして、他のテーマと関連させて学ぶということは、四日市公害を「点」ではなく、他の社会問題とも関わる「線」として取り組むということで、「四日市公害」を伝えていくこれからの方向性の一つだと思いました。
 保々小の人権教育は「なかまとともに差別をなくそうと行動する人になる」ことを教育目標としています。DVD『青空どろぼう』で野田さんや澤井さんの姿と言葉に触れ、山本さんからは直接話を聞くことで、自分がぜんそく患者になったら、誰かがぜんそくの発作で苦しんでいたら、「おかしい」と声をあげたり、苦しんでいる患者さんたちに目を向け手を差し伸べることができるか、子どもたちひとり一人がもう一人の自分と苦しみながら対話します。もう一人の自分と苦しみながら対話し決断することが、そしてクラスメートの自分自身との対話と決断を共有することが人権教育の眼目かと思います。
 あらゆる生活の場面でのその経験値がみな同じように広がっていけば、私たちはどんな社会を望み、そのために何をしなければならないのか、自ずと社会的共通感覚が生じるはずです。その可能性を感じる水谷さんの優れた教育実践に触れ、なんだか気持ちが明るくなったのは私だけではないはずです。

④ 内容の濃い発表が続き、私も含めやや集中力が切れそうになった時に、片岡さんがハキハキした大きな声で平井さんの報告文を朗読してくださったので、また集中して聞くことができました。その内容も先の3人の方と関連が深かったので、きちんと理解することができました。その後の質疑応答で片岡さんが話されたこと、「少数の犠牲者に忍従を強い、多数者はその事を平気で忘却する社会に私は我慢がならない」に強い強い感動と共感を覚えました。

⑤学習交流会の最後に、塩浜小の展望室にみんなで上がり、コンビナートを間近に見ながら山本さんから説明を受ける。病を押しながらも気迫のこもった声に、コンビナート工場で働きながら公害反対運動に携わった人の矜持を感じて、胸が熱くなった。四日市公害と四日市の子供達・市民・四日市公害に関心を持つ他市・他県の人々をつなぐ大切な糸である山本さんに感謝。

四日市公害学習実践交流会 報告集より