実践交流会を通して感じたこと

阪倉芳一

1.「澤井余志郎さんの生き様に学ぶ授業」実践発表をしてみて

 発表前に、資料やスライドを読み直していると、「コンビナートで働いていた澤井余志郎さん」という誤りに引っかかりました。子どもが調べたのだからそういうこともあるか、と思っていたのですが、そもそも、澤井余志郎さんをどれだけの人が知っているのでしょうか?「四日市公害が生んだ歴史的遺産」「黒子、助っ人、記録人、語り部・・・」などいろいろな肩書きがありますが、6年前に亡くなられた澤井さんに出会っている人はどれくらいいるのでしょうか?

 この点が気になって、実践発表の前に、澤井さんとの出会いなどを話す時間を多く割いてしまいました。肝心の澤井余志郎さんの生き様に学ぶ授業はどんなのだったか、子どもたちはどのような反応を示したのかを発表できませんでした。反省しています。 

2.四日市公害学習の取り組みを財産として

 各校で行われている実践は、それぞれ個性があって興味深いものでした。自分の実践だけでなく、色々な実践と交流することは、自分の実践の幅を広げていくものだと感じました。

 また、「四日市公害と人権」がいろんな学校で活用されていることをうれしく思いました。これからも、このような実践が積み重ねられ、四日市公害学習が広がっていくことを願います。

 四日市公害をどのように子どもたちに学ばせようかと迷う方がいるなら、この実践交流会の資料を是非参考にしてほしいと思います。

3.なぜ、四日市公害学習に関わり続けるのか?

 質疑応答でこのように問われましたが、あのときどのように応えたかあまりはっきりと覚えていません。この質問をもう一度考えてみましたが、こうだとはっきりとしたものを書くことができません。

 ただ、澤井余志郎さんの顔が浮かんできます。澤井さんに出会ったから、公害学習を続けているのだと思います。外見からは想像もできないくらい強い思いを持っている澤井余志郎さん。今回の実践では、澤井さんのピンチを跳ね返す柔軟な思考と行動力に、子どもたちと一緒に学びたいと思いました。

 この澤井さんでも公害反対運動を続けられないと思ったことがあるそうです。次はここを子どもたちと一緒に考えたいと思います。

 常に被害者の視点に立ち、自分の武器は記録することだと貫き、多くの仲間と切磋琢磨した澤井余志郎さん。そんな澤井さんに魅せられたから、四日市公害学習に関わっているのかもしれません。