市民塾通信『こちら市民塾』 №113 (10月08日)
「50年、50年」と何やら騒々しい!
14 夜景平和町住宅271.4最近、どうも「あれから50年」というニュースがマスコミのネタになっています。一つは東海道新幹線の開通。そしてもう一つが東京オリンピック。この出来事は、私事ながら、ちょうど大学生になった年なのでよく覚えております。「半世紀」経ったのですが、では、四日市公害問題と絡ませるとどうなるのか、少し年表を開いてみましょう。
なんと、前年(1963・昭和38)6月に「磯津漁民一揆」。11月には東京から「黒川調査団」。つまり海も空も汚染がひどくなってきているのです。そして、50年前の4月には最初の公害病犠牲者である古川喜郎さんが亡くなったのです。6月には「都留調査団」が訪れ、市内の小学校に空気清浄機が設置されています。東京では新幹線、オリンピックと騒いでいますが四日市の公害は悪化の一途をたどることになります。まさに「高度経済成長の光と陰」が見事に表れています。
翌年(1965・昭和40)には四日市市が独自に「公害病患者認定制度」を発足させていますから、来年はその50周年となります。ある意味では「判決後○○周年」というよりは、深い意味があるのかも知れません。「公害資料館」がオープンするのもそうした因縁と言えるのでしょう。この写真(沢井さん撮影)はその頃の中部電力三重火力前(鈴鹿川堤防下)の平和町住宅です。間もなく移転をして、今はもう雑草が生い茂っているばかりです。

「こちら市民塾」№113(14,10,08)