市民塾通信「こちら市民塾№29(4/26)
  桜前線は東北へ・・・・・・。   
1986(昭和61)年4月26日、旧ソ連(ウクライナ)チェルノブイリ原発の爆発事故から今日で25年。いまだなお半径30㎞以内に人は住めず、コンクリート詰めにした原子炉からは依然として放射能が漏れ、その修復のメドもたっていません(ちょうど今、TVで「この事故から何を学ぶことができるのでしょうか」という番組が始まりました。ドイツで2000人規模の原発反対デモと伝えています)。そして、日本では大震災に耐えられなかった東電福島原発事故に対し、収束のメドさえたっていません。さらに国内の原発はただ1基も休止することなく運転を続けています。また、農作物を廃棄せざるを得なくなった福島の農業従事者が、東京の東電本社に直接抗議に赴いたとの報道もあります。何とかしろ!と叫びたくなります。

◎ 市民塾4月例会の報告をします
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 今回の勉強会のテーマは「提訴」に至るまでの公害反対運動の歴史です。1967(昭和42)年が9月1日が提訴の日ですが、実はそれ以前に住民による「公害反対」の運動がありました。特に1963(38)年は記念碑的な年となっています。まず6月には「くさい魚」に怒った漁民が中電三重火力の排水口を閉鎖しようとした「磯津漁民一揆」がありました。ついで第2コンビナートの操業開始の際には騒音・煤塵・悪臭に対して近隣住民が抗議に押し掛けています。そして7月には社共・労組などによって「公害対策協議会(公対協)が結成され、「公害に反対する市民集会」が開催されています。そうした動きの中で12月には黒川調査団が来四して「勧告」を出すに至っています。
このような住民の怒りを背景にして1965(40)年には四日市市は独自に「公害認定制度」を発足させることとなり、弁護団の強い力を得ながら提訴へとつながったのです。支援組織といえる「四日市公害訴訟を支持する会」が発足したのは、第1回口頭弁論が行われた12月1日の前日(11月30日)でした。この写真はその発足集会のスナップです(もちろん澤井さん撮影)。主力部隊となったのは教職員組合や市職労でした。
◎7月24日に「公害訴訟判決39周年 市民集会」を市民塾主催で行います。ビデオと講演が主体となります。「四日市・水俣をつなぐもの」がメインテーマとなります。100人以上集めたいと思っています。HPで追々連絡をしていきますのでお見逃しのないよう、またご協力をお願いします。