birakubari四日市公害と人権を考える授業を実践したときに使われた一枚の写真があります。コンビナート企業で働く女性が塩浜駅前で、公害反対のビラを配っているものです。授業は、コンビナート企業で働く人の葛藤を考えさせることで、子どもたちの生活を振り返らせるという実践でした。
 この女性が配っていたビラの内容がずっと気になっていましたが、「公害トマレ」の11号に掲載されていることを教えていただきました。さらに、「新聞が語る四日市公害」には、「被告企業内から初の告発」との見出しで書かれた朝日新聞の記事が紹介されています。新聞によると、被告企業で働くこの女性は、45年10月に入社しましたが、会社が被告企業の一つであるということは知らなかったそうです。それが、「公害市民学校」に参加することで、公害のことを学んでいったそうです。さらに、患者さんと接するうちに、企業で働く自分自身や訴訟に無関心でいる仲間への疑問がふくれあがり、一緒に働く仲間に訴えたいという気持ちが大きくなったと紹介されていました。
 また、語り部の方が、資料を整理する中で、その後のビラがあることがわかりました。

「・・・公害発生源で働く私たちにとって、『かかわりのないこと』ではすまされないのです。『会社に働いている以上仕方がないじゃないか。』-ほとんどの人がこう言います。
 本当にそうだろうか。では、『苦しい、助けてくれっ!』と言って死んでいった人たちの命は、発作が起こるたびにのどをかきむしり、死の影と格闘する患者さんたちはいったいどうなるのでしょう。『仕方がない』とあきらめるしかないのでしょうか。・・・」

 見つかったビラの中には、他のコンビナート労働者が作成したビラも残っていました。
 貴重な資料をいただきましたので紹介します。

四日市公害訴訟 結審を迎えて
コンビナート労働者は何が問われているか!::

 四年五ヶ月にわたる四日市公害裁判がいよいよ二月一日には結審となり、数ヶ月後には、判決がくだされようとしています。
 私たちは、日夜コンビナートで働きながら、恐ろしいほどの無関心と、のんきさで、この結審を迎えようとしているのです。
 五十八人もの犠牲者を出し、八百数十名の認定患者、三千名入ると言われる潜在患者が、今もなお増え続け苦しみ続けているというのに、この裁判においても、九名の原告のうち、二人がすでに判決を待たずに殺されていきました。
 患者さんたちの苦しみ、そして、親兄弟を奪われた激しい憤りは、コンビナート企業に向けられており、そして、それは内で働く私たちひとり一人に向けられているのです。
 私たちは、「公害追放」を口に出さないばかりか、企業と一体となり公害を黙認してきたことに対して、自分に厳しく問いたださなければなりません。
 私たちの労働行為が公害を出し、人間の尊い生命までも奪うという、その犯罪性を、今こそ厳しく認識せねばなりません。公害に苦しみながら身を切り売りして働いているコンビナート労働者の「認定を受けたら会社をやめんならん。ほんのわずかの金もらうだけでは生活できん。命縮めても、くたばるまで働くしかない。」という言葉は、私たちも被害者なのだ。決して人ごとではないということを知らされます。
 私たちは今こそ、各々の職場から「公害反対」の声を結集していかねばなりません。そして、この公害裁判を通じて、企業の対応を、一個の生きた人間として、厳しく見据えようではありませんか。

なぜ黙っているのか!

 コンビナートで働く皆さん~三菱油化川尻工場の一女子労働者::

ビラの内容 四年五ヶ月を経て四日市公害裁判は二月一日に結審となりましたが、その前日私は、この裁判こそ企業内で働く私たちひとり一人に「何をしなければいけないか」を問われているものなのだということをビラで皆さんに訴えました。
 その私に対して会社は、動揺が広まるのを恐れ、私を四日市工場へ来させまいとして、休んだ仲間の代務を取り上げ、経験のない人に代わってやらせ、駄目だとわかると今度は休んだ仲間に緊急呼び出しをかけて出勤させるというありさまで、はては「どうしようもないときは機械の方をストップさせるから・・・などと言い出す始末です。また「あの人と口をきかないように。」と言ってまわり、私と仲間との間を遮断させ、孤立させようとしました。
 こうして、あの手この手と、私に対して嫌がらせをはかってきています。いったいこのことは何を意味するのでしょう。
 それは、自分たちの犯している罪を十分承知しているからです。そして、ひたすら私たち労働者に企業防衛思想を吹き込み会社の言いなりにしようとしたにもかかわらず、造反した私を恐れているからです。

 私たちが毎日工場へ行き、現場であるいは事務所で働くことが、多くの人たちを死に追いやり、日常生活をも滅茶苦茶に破壊している事実を逃げることなく受け止めねばなりません。公害発生源で働く私たちにとって、「かかわりのないこと」ではすまされないのです。「会社に働いている以上仕方がないじゃないか。」-ほとんどの人がこう言います。
 本当にそうだろうか。では、「苦しい、助けてくれっ!」と言って死んでいった人たちの命は、発作が起こるたびにのどをかきむしり、死の影と格闘する患者さんたちはいったいどうなるのでしょう。「仕方がない」とあきらめるしかないのでしょうか。
 工場で働く私たちの「仕方がない」は、自分の生活は保障されているという安心感からくる言葉でありはしないか。死者六十三人認定患者八百五十三人、そして何千という潜在患者、これら地域に対してなしている暴挙が企業の本質ではないか。その企業が何で私たち労働者に人間としての生活を保障してくれるのでしょう。「公害」を口にする労働者はにらまれるという状態一つをとってみても、「本当のこと」を叫ぶという人間として当然の行為すら押さえつけられているのです。
 私たちがいつまでも沈黙を続けるなら、それは全く血の通わぬ機械と同じではないでしょうか。
 勝訴の判決を聞いても公害はなくなりません。さらに河原田地区まで公害源を広げようとしているではありませんか。(油化は、新工場を決して断念したわけではないのです。)
 今からでも遅くありません。いまだに責任をとることもせず、その否さえ認めようとしないコンビナート企業へ向けて、勇気をもって、怒りの言葉を発しようではありませんか。

※こんなことしかできないけれど・・・と五百円カンパしてくださった方、ありがとう!どこかで私たちを励ましてくださる人がいることを知りました。
※あなたの意見・職場での出来事、何でも結構です。声を聞かせてください。

ありさま    石垣りん

ここは人間のための町ではありません。
経済のハンエイのための町です。
重役の家は東京 社員の家は山の手
ざっと言えば、まあ、利益だけが生かされる。
政治の温かい血の通うことのない土地に
ガス管と石油管が通っています。
コンビナートの町に住んでいるのは
ほんとうに住んでいるのは
前からこの町にいた人たち
行きたくても行き場のない人たちです。

四日市公害と戦う市民兵の会
コンビナート労働者グループ