nobiyuku 2010年度、四日市の社会科副読本「のびゆく四日市」が改訂されました。その中の四日市公害に関する記述が大幅に増やされました。
 今後は、教師が四日市公害とどう向き合い、子ども達に学習させるべきかが大切になります。このような教師自身の研修をしっかりとサポートする体制を整えていく必要を感じます。

 これまで、市民塾では以下に記すように考えて、教育委員会と話し合いをしたこともありました。

四日市公害裁判「判決30年」から考える

 四日市公害裁判の判決から、2002年7月24日は、30周年の日にあたります。原告患者の野田之一さんは、「公害裁判をやったおかげでわしは死なずにすんでいる」と、公害学習で訪ねてくる小学校5年生の子どもたちに、しみじみ話しています。
 四日市ぜんそくにかぎらず、日本の大気汚染は、四日市公害裁判ぬきには、考えられない歴史上の事実なのに、忘れられています。
 四日市教育委員会発行の、小学校3・4年生用社会科副読本『のびゆく四日市』には、公害裁判についてひとことも述べられてはおらず、「国や県や市では公害をなくすためのきまりをつくり・・・・・工場も決まりにしたがって公害を出さないようどりょくをしました。」と書かれています。
 こうした記述は、四日市の教師がしております。「学生の頃、新聞やテレビで公害裁判のことを知った覚えがあります」というのが大半で、なぜ裁判がはじめられたか、何が争われたか、判決は、その後どうなったのかなど、きわめて基礎的なことを知りません。知ろうとせずにきています。“知らない、知ろうとしない”ことは、恐いことです。公害裁判がなくても四日市公害は、行政と工場の努力で簡単に“克服”したとしています。四日市公害を風化させてはいけないというのは、こういうこともあるからです。
 こうしたなか、公害裁判、四日市ぜんそく、くさい魚・・・はなんだったのかを問いなおすのに、公害判決30年はよい機会だと思います。