伊勢新聞と朝日新聞は、三重県環境保全事業団が経営する総事業費126億5千万円をかけて作ったガス化溶融炉を、経営の甘さなどから操業わずか7年あまりで運転を停止することとなった、と報じた。
 市民団体からは、この施設を使用しても、ダイオキシン処理にはなっていないと指摘され、必要ない施設を止めろと言われてきた。それは、市町の焼却炉から持ってくる灰がほとんどダイオキシンを含んでいなかったからである。

 さて、これまでにも、いろいろと物議を醸し出してきた三重県環境保全事業団とは
 ・・・以下「公害を記録する会」の資料より・・・

 1977年9月1日、設立 理事長は三重県知事(その後環境部長の天下り)、理事は、市長やコンビナートの工場長、事務局は、環境検査センターであった。産業廃棄物を捨てる工場、検査監督する行政が一緒である。

 ・・・・なんとも廃棄側の癒着そのものの談合組織である。  環境保全事業団は、こうした組織だから、“有害廃棄物はない”わけで、磯津の漁民が「楠町吉崎へ石原の産廃を捨てるようになってから、赤い水が浜に流れるようになった。分析などしてほしい。」と言ってきたので、名古屋大学の助手をしていた河田昌東さんなどに分析を依頼、吉崎の投棄場所でサンプル採取をしていたら、環境保全事集団の腕章を巻いた男が来て「そんなことをしなくても大丈夫、悪いものは入っていない」と言うので、「じやあ、どんな物質が含まれているのか教えてください」「それは知りません」「いま安全だって言ったじやないですか」「上の人にそう言えって言われています」「じゃあ、ここで待っているから、その上の人を連れて来てください」  長い時間待っても来ないので産廃排出者の石原産業へ行った。守衛が「環境保全事業団の腕章を巻いた人は事務所へ行って、もう帰って行きました」と言う。なんのことはないえらいさんと言うのは事集団の理事をしている石原産業であった・・・

 そして、1991年9月、発ガン物質を含む有害産廃フェロシルトがリサイクル商品として認定を受けたのであった(2004年発覚)。
 また、事業団が用地買収を進めている「新小山処分場」は168万平方メートルで、埋めて用地の半分が石原産業用ということである。さらに、処分場の建設工事を、同社子会社の石原化工建設などに発注することが分かった。