DSCF3062DSCF3065「四日市公害を忘れないために」市民塾・土曜講座 第2回 も「大入り」。
「語り手」岸田和矢さん 1967年11月30日 四日市公害訴訟開始を翌日に控えて「四日市公害訴訟を支持する会」を開催し、ようやく支援団体としての「支持する会」が発足。以降判決までの5年間カンパ・署名・動員など、組織の大きさを基盤にして裁判を支えていったのが「支持する会」。
当時、岸田さんは教職員組合の書記長をやりながら組織の立ち上げ・推進に尽力されたのですが、その内部の厳しさは相当なモノがあったようです。特に四日市市民の意識(磯津や原告への偏見)が裁判に対して冷たかったことを振り返っています。前回の野呂さんのお話とつなぎ合わせるとその流れがよくわかりました。結局、四日市公害訴訟が四日市市民全体のものになり得ていなかったこと。そんな中で9人の原告はよく戦ってくれました。支援組織もほとんどが公務員関係の労働組合が主体で、民間の大手組合はそっぽを向いていたこと。岸田さんは当時の新潟・富山・水俣と連動した闘いであったことが勝訴の背景にあることも指摘しました。岸田さんももう79歳、しかし「歯に衣着せない」口調は往年と変わらず厳しい語りでした。これまで「支持する会」はあまり表面に出されてきませんでしたが、その意味でも貴重な講座だったと思います。「聞き手」の田中さんもスライドを交えて興味深い話題を引き出してくれました。ご苦労様でした。参加者はマスコミが減ったこともあって約40名超。新規の方が半分見えました。
次回は3月08日。塩浜地区連合自治会長さんにご登場願います。