四日市港開港百年史平成12年・四日市港管理組合発行)

四日市公害の歴史を考える上で貴重な文献があります。公害は産業活動の発展とともに発生した近代的な産物ですが、そこに至るまでの「前史」のようなものが存在します。四日市の場合、穏やかで魚種豊富な伊勢湾に恵まれながら、今日のような海岸線を工場群で埋め尽くすにことになったわけです。こうした流れについては『四日市史』が膨大な資料でまとめていますが、この『百年史』は海に焦点を絞っていて興味深いものがあります。

四日市港の起源は古文書によれば室町時代にもさかのぼるとあるようですが、ポイントは明治時代以降 稲葉三衛門の改修工事にあると思われます。皮肉なことに「良港」を得た四日市はそこを拠点にしての工場立地に邁進することになります。さらに太平洋戦争への突入とともに実行された海軍燃料廠の設置も戦後の石油化学コンビナートへとつながっていきます。

今回の写真は『百年史』に付けられた「四日市港築港計thumb_2011_0108_224427-DSCF2047四日市史より画平面図」です。「大正末期」の作成となっていますから、90年近く前の四日市港です。大きい黄色の台形が「第2号埋め立て地」(現千歳町)でこの先に埠頭が延びていきます。現在の昭和石油や石原産業のあたりは「大池」「鯔池」となっていて埋め立ては進んでいません。                                                                                                                                       

まだまだ直接「公害」と関係のない時代ですが、裁判で指摘された「立地上の問題」を考えるために一度は確認したい歴史だと思います。市民塾の「勉強会」第1回目(1月24日 例会)はここからスタートします。ご参加よろしくお願いします。