{tab=来四  公害学習}
7月1日(木)
福井県の私立かつやま中学校3年生4人が、担任教師とともに、四日市公害学習で来四。四日市市環境学習センターで、センター研究員や公害市民塾の語りべから、映像を見ながらの説明を聞き、塩浜小学校へ行き、学校長の話や、うがい場で、うがいの追体験、展望室で周囲のコンビナートや、磯津、伊勢湾などを見て、理解を深めていた。
{tab=東海社会学会}
7月3日(土)
第3回東海社会学会が、名古屋市の金城学院大学を会場にして、「問題は“解決”したのか?一環境紛争地域の再生を考える」をテーマに開催され、①「住民投票」以後、御嵩町はどうなったか?(報告者柳川喜郎・前御嵩町長、岐早大学・山崎仁郎②「四日市判決」以後、澤井余志郎・公害市民塾③「政治解決」以降の新潟水俣病、関礼子・立教大学が報告され、澤井報告については、富樫幸一・岐阜大学コメンテーターがその後の四日市コンビナートについて補足・解説をされていた。
テーマの「問題は解決したのか」は、公害半世紀の四日市にとっても、考えなければならない課題で、報告者の澤井は準備不足を反省していた。
{tab=番組「市民が取り戻した青空」}
7月6日(火)
四日市のケーブルテレビ・CTYが7月中下旬に10日間放送する、四日市市広報番組「市民が取り戻した青空」(仮題)13分の試作作品の検討会があり、登場する公害市民塾メンバ-や市環境保全課などでの検討会があった。語り部の野田・山本・澤井は、公害改善を謳う人物として登場していた。
{tab=お墓参り}
7月10日(土)
四日市ぜんそく公害訴訟原告9人のなか最年少だった瀬尾宮子さん(38)が判決前年の1971年に亡くなった命日のこの日、7月24日の「判決38周年市民集会」開催の報告も兼ねて、磯津墓地の瀬尾家のお墓を、二次訴訟原告団(直接交渉になつた)の中心的存在であった磯津西町の今村しず子さんに案内してもらい、公害市民塾の3人が花を供えてのお参りをした。しず子さんが「宮子さん、お参りに来てくれたでな」とお墓に声をかけていた。墓参りの前、瀬尾さんたらが住んでいた家を見に行ったが、家屋敷はなく、金柑や草などが覆い繁っていた。「公害がなければ今も瀬尾家はここにあり、家族が集う団欒でにぎわあっていただろうに…、公害はPPMや数字ではなく、これこそが公害なのだ」と一人がつぶやいていた。
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{tab=東芝}
7月14日(水)
東芝ハイテク主力の四日市工場で、この日、半導休メモリ-の新製造棟の建設が始まった。田中俊行市長は「経済的な波及効果もあるし、雇用もあるし(フル稼働の場合800人程度が勤務)、いろんな面で四日市にとっては非常にありがたい話」と歓迎。
{tab=夜景クルーズ}
7月16日(金)
「工場萌え」の写真集プームにあやかっての、「夜景クルーズ(観光船)」を四日市観光協会がこの夜から9月までの金、土曜の夜に実施。市は「市のイメージアップになる」と期待、「コンビナートに注目することで工場も操業に注意することになる」との声もあるし、「関東は・・・」との批判の声もある。
{tab=初呼びかけ}
7月16日(金)
7月24日の公害判決38周年の市民集会に、かっての被告企業にも参加をよびかけ、名実ともに環境再生まちつくりをめざしていこうと、この日、公害訴訟原告患者で磯津患者会の野田之一会長、四日市再生「公害市民塾」澤井余志郎代表と、まちつくり市民会議の渡部隆・中浜隆司事務局担当者、それと、野田・澤井などに密書取材中の東海テレビスタッフ3名が、石原産業、昭和四日市石油、三菱化学、中部電力(四日市営業所)をつぎつぎ訪ねた。アポなしの突然の訪問で、しかもテレビカメラ付きで、何事かととまどったようであったが、市民と企業と行政とがほどよい緊張関係をもって快適なまちつ<りを進めていくには、「公害裁判の意義・判決」などを知る(工場幹部は判決以後入社であり、裁判についての知識はない世代)ことが必要だと、公害市民塾からは『四日市公害記録写真集』『新聞が語る四日市公害』を、市民会議(市職労連)が『環境再生まちづくり』を各社に進呈した。応対した総務部長・課長は、「わかりました。参加します」と約束してくれた。そのあと、市環境保全課にも参加を呼びかけた。これまでの裁判集会で企業と行政が参加するのは初めてのこととなる。
{tab=公害写真展}
7月17日(土)
この日から8月28日まで、四日市市環境学習センターで、「四日市公害写真展」開催。夏休みの小中学生を対象にした写真で、その多くは「澤井公害記録写真集」(DVD)からのもので、DVD化の続編(7月完成)にはカラー写真もありの第3回写真展となる。(第1回は「公害と子ども」、第2回は「公害裁判」、いずれも昨年開催。)写真展と自由研究についての語り部は公害市民塾メンバーが当たっている。
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{tab=教職員研修}
7月22日(金)
四日市布教育委員会に市環境学習センターが協力、四日市公害学習の教職員研修があり、70人ほどの教諭が受講した。語り部には公害市民塾の3人とよんかんの研究員があたり、市民塾の澤井は「いままでにない熱意を感じた」との感想を述べていた。
{tab=うがい場取り壊し}
7月22日(金)
この日の午後、塩浜小学校のうがい場6ケ所のうら、これまで「公害学習体験のできるうがい場」として利用させてもらっていた3箇所が壊された。これは、三浜小学校が来年4月に塩浜小学校に統合されるについて、女子トイレをつくるためのもので、県内外の小学校5年生が公害の追体験できる絶好の場として使わせてもらっていただけに、市民塾の語り部や、中日新聞記者、NHK、東海テレビ、CBCのテレビスタッフも取り壊しを見守った。こうした追体験できるうがい室は今後とも必要なもので、市民塾が四日市市に再生を要望、教委は、蛇口のついた水道管とステンレス流し台は処分せず、塩浜小内に保管することにしてくれた。市民塾メンバーは、早いうちに公害学習資料館とうがい室の再生実現を望んでいた。
{tab=まちづくり市民会議}
7月24日(土)
「四日市公害裁判判決38周年環境再生まちづくり市民集会」が、本町プラザ1階ホールで開催され、80人ほどが参加した。今回は特に、被告企業(石原産業、昭和 四日市石油、三菱化学、中部電力)に参加を呼びかけていて、20人ほどが参加された。磯津患者会からも酸素ボンベをもら車椅子で石田由忠さんなど7人が参加。市民塾の伊藤三男・山本勝治さんが、公害記録写真で「公害裁判」のDVDを編集、パワーポイントで解説。
野田さんは「四日市は、公害で人が生きるか死ぬかという状況になった。行政、企業、住民が協力して、その体験を子どもたらの世代に伝え、公害の苦しみをなくす努力をしていくことが問われている」と、磯津から参加した3人の女子小学生を前にして述べた。そのあと、患者側弁護団の郷成文弁護士が、訴訟提起のきっかけや、訴訟の意義・内容などについて講演。企業の幹部は「公害を知らない世代が増えている。研修などで何がおきたのかを振り返り、公害防止対策に役立てていきたい」と新聞記者に話していた。行政からも市環境保全課長・係長などが参加していた。このほか、裁判当時のNHK記者栗田英麿さん(現在寺の住職)や、中日新聞記者で、退職後、桜美林大学教授(現在文筆家)の伊藤章治さんも来られていた。
{tab=なぜ?}
7月29日(木)
公害市民塾が協力しての四日市市環境学習センターの「四日市公害~いまむかし」が、小学校4年生~中学生を対象に開催。定員30名募集に45名余の申込みがあり、定員外も受け入れ、公害市民塾の語り部が記録公害写真などから編集した30コマほどのパワーポイントで解説したあと、市環境保全課大気水質係講師による公害行政の話があり、納屋小学校跡にある測定室を見学した。この研修会は昨年も開催されているが、昨年の2倍の受講者で、今月22日の教員対象「四日市公害」研修会の盛況といい、関係者は「なぜ?」と思ったり、喜んだりである。
{tab=公害写真展 DVD}
7月19日~8月28日
四日市市環境学習センター展示企画「四日市公害写真展」が、市民塾協力で開催。夏休みの自由研究で児童・生徒が保護者とともに来館、市民塾メンバーが解説・語り部にあたっている。
展示の写真は、昨年からデジタル化した「四日市公害記録写真集」1503コマのほか、今年7月に完成した続編(カラ-を含む)753コマのなかからも採用した写真を含めての展示で、市内外の児童対象の「四日市公害語り部」(カラー)が多く展示されている。
続編については、別記(「四日市公害写真集2」DVD版完成のお知らせ)参照。
※公害記録写真集のDVDから、適宜編集してのDVDを、市環境学習センター研究員や、市民塾メンバーがテーマことの内容で編集、講座・語り部などで活用している。「四日市公害」の歴史バージョンや「四日市公害と子ども」「四日市公害裁判」なども作成していて、語り部などで活用している。
こうしたDVD利用の問い合わせは、四日市再生「公害市民塾」山本勝次治 四日市市浮橋2-6-11 電話059-321-1002へ。
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