野田之一さん(漁師、当時39歳、気管支ぜんそく、肺気腫)   

 どうも裁判長さん、長い間ご苦労さまでした。
 今まで私らも長い間聞いていますのに、この私らが一体何ゆえにこの病気になったかと・・・そういうところに疑問持っておられると思いますけれども…私らの故郷が、企業が来る以前からこんな病気があったか、なかったか・・・一番よくご存じは裁判長さんです。私はそう思ってます。
 それに企業の方は、法律の先生方をようけ連れてきて、そうして、うちじゃない、うちじゃない・・・一体磯津へどこの煙がきたというんです。
 今も聞いていますれば、(原告陳述前に、被告企業6社それぞれの最終陳述があった)、うちんとこじゃない、うちんとこじゃない・・・と。そうすると、磯津は、地から煙がでてきたんか。あまりにも無責任なやりとりじゃありませんか。
 そうして、企業の方、企業主のその方も、そういう先生たちを頼りにして、自分らのしとることをごまかす。またごまかすような気持ちで・・・。
 これで世の中が通っていくと・・・そんな甘い考えでおるんですか。決して私は、脅迫じゃありませんけれども、あんたらがそんな甘考えでおるんなら、あんたら企業とさしちがえましょう。そんな気持ちでおる私らの心が、あんたらに、ちょこっとでもわかってもらえたらと・・・。無駄な日を費やしたかもしれんけれども、私らの子孫のためと思ってがんばってきた次第でございます。

そして、4年間という月日の間には、9人おった原告のうち、もはや二人という人が亡くなられました。まだこの上、長いこと引き延ばして、やれ高裁や、やれ最高裁やと、しちめんどうくさい法律上のことにかこつけて、この問題を解決しようとせん・・・この問題が解決したあかつきに、私らが生きておられると、そう思ってますか。そんなねえ、なまやさしいね、甘っちょろい考えで、あんたらよう、ほんでも、生きておるなあ。

 私も、愚痴ばかし並べましたけれども、一刻も早く、私らも病気にかかっとる以上、明日もしれんというさみしい気持ちでおるんです。一日も早く、勇気ある判決をいただいて、そうしてみんな仲良う笑って暮らせるような場を作ろうじゃありませんか。
 どうか一つ裁判長さん、よろしくお願いします。