市民塾通信「こちら市民塾」№41(10/25)
市民塾10月例会:①公害資料館の中身について具体的な要望を・・・15日の話し合いも踏まえていろんなことを出し合いました。詳しくは別ファイル で添付しましたのでご覧下さい。平面的なパネルから立体的な道具立てまでいろいろ考えました。100人は入れる学習室やうがい場の移設、いくつかのジオラマからレプリカ。他にも出ると思います。アイデアはメールでお送り下さい。
②四日市公害勉強会・・・「四日市公害訴訟を支持する会」について、その成り立ちと解消まで。そしてその流れはどうなったのか。教訓とすべき事はあまりにも多いというべきでしょうか。
2011_10230011野田之一さんのこと。磯津漁師。公害患者にして四日市公害訴訟原告。そして「語り部」トリオの重要メンバー。記録人・澤井余志郎の50年来の「相棒」。最近中日新聞が夕刊ながら1面トップで「最後の原告」として紹介しました。9月に塩野輝美さんが亡くなったのを受けての記事ですが、澤井さんたちとの語り部活動に駆けつけてくれて小学生たちにとっては「アイドル」的存在2011_10160006となっています。判決の時の「ありがとうは青空が戻ってからいいます」という言葉が有名ですが、最近昔(20周年の頃)のVTRを見ていてこんな発言を聞きました。「5周年とか10周年になるとあちこちから一杯やってくるが、終わるともう知らん顔や」。鋭いなァと思います。やがて40周年、どんな場面になるのでしょうか。しかし、何はともあれ公害学習も盛んになり資料館も現実味を帯びてきました。「青空どろぼう」をひっつかまえるためにいつまでも元気で居てもらいたいと思うばかりです。