市民塾では、今年度(2011年度)にこれまで、35回以上の語り部活動を行ってきました。「こちら市民塾№44」で報告があったように、これまで要請がなかった中学校で、語り部を行うということがありました。その際に、なかなか鋭い質問が飛び出しましたが、この時の記録を語り部講座に参加された方が、記録をしていただきましたので、以下に掲載します。
  また、今年度は、四日市の学校で語り部を行うことも急増しました。これまでが5,6校だったのに対して、16校となっています。そこで、四日市の学校から送られてきた感想等を年度末には、整理してこちらに掲載したいと思います。

■目的 四日市公害について、体験者の生の体験を語っていただき、その歴史と経過、背景を説明し、意見交換を通じ公害について気づいてもらう。また、次世代に二度と公害を発生させないためにはどうすればよいか考えてもらう。

■対象 四日市市立西朝明中学校 3年生 118名(体育館にて)

■開催日 2011年12月2日(金) 13:30~15:30

 

■質疑応答内容

・Q1  今年、震災があり福島原発の放射能汚染の事例があったが、それについてどう思うか?(生徒)
A   原発の建設は石油化学工業の推進とともに政策(国策)として進められた。
問題点としては、国策で進められたので、ステークホルダーである住民に対し、有用性または地域振興の意味合いが強調され、危険性の有無についての情報が知らされないままに進められたことだと思う。 今回の震災でも、実際に事故が起きて被害が出てから原発の問題点について色々と議論、反省、批判がされている。そういったことは、事前にその危険性などについて本当のことを住民に知らせ、知ったうえで進められるべきだったと思う。 みなさんにも、自分の目で見て聞いて、本当のこと(事実)を見て、知ったうえでそれを伝えていってほしい。(や)

・Q2  講義の中で、洗濯物が汚れたという話があったが、それは実際どういうことか?
A   公害の最初のころはコンビナートでカーボンの生産もしていたため、細かい炭素の粒子(黒いすす)が飛散し降り注いでいた。そのせいで、洗濯物を外に干しておくと、そのすすが付着して洗濯物が黒く汚れる事例が発生した。

一時期は、その代償としてクリーニング代を出していた企業もあった。(や)

・Q3  1988年にぜんそく患者の認定制度が無くなっているが、その直前で認定患者が急増しているがなぜか?
A   公害のぜんそく患者に認定されると、医療費や生活費がもらえるから、制度が無くなる前に駆け込み認定に来る人が増えたのではないだろうか。(や)

・Q4  亜硫酸ガスはぜんそくを起こす以外に害があるのか?
A   亜硫酸ガスが雨などに触れると酸性雨に変化して植物を枯らしたり、アサガオの花が脱色されてしまったりする。(や)

・Q5  公害が発生していたのに次々と工場が建てられていったのはなぜか?
A   企業は利益をあげるため次々といろんな製品を作っていかなければならないので工場を増やしていった。市や県、国も年々税収が減るのを補うために、税収を上げるため、どんどん工場を増やしていった。結局世の中は企業に頼っているだけでは成り立っていかなかった。漁業、農業、商業などいろんな産業をやっていかなければいけないのではないか。(さ)
一時期は市の税収の60%がコンビナートからの収入だった。悪い時はコンビナートからの収入は16%くらいだった。(や)

・Q6  四日市公害では臭い魚など、漁業に被害が出たが、農業に被害はなかったのか?
A   結果的には農業への被害はあまり無かったようだ。調査は行われたが、コンビナートの近くには農地が無かったので、データとして残っていない。(や)

・Q7  四日市ぜんそくは治せないのか?
A   治せない。成人したばかりなど体力のあるうちはぜんそくの症状を抑え込めるが、歳を取るとまた発症してくる。(や)

・Q8  四日市公害は塩浜の辺りでは被害が出たが、西朝明中周辺では被害はでていないのか?
A   西朝明中付近で患者が出ても、認定患者になるためには、認定地域内に一定の期間住んでいたなどの条件があるため、認定地域外からぜんそく患者が出ても認定が受けられない。 また、企業に勤める人や家族などはぜんそくの症状が出ていても、給料をもらっているから申請しない人もいたと思う。(や)

・Q9  亜硫酸ガスはどのくらい臭ったのか?
A   無色であまり分からないが、温泉で臭うような硫黄の臭いがした。(や)

・Q10  公害が起きた時に住民が被害を訴えたのに、なぜ公害は無くならなかったのか?
A   まず、責任の所在が分からなかった。四日市には工場が沢山あり、煙突も沢山あって煙も沢山出ている状態では、各企業は自分の会社の影響ではないと言い張っていた。それに、企業は利益を追求しているから、企業が不利益を被るような工場を止めるようなことは、住民が訴えただけではなかなかできないのが実状だった。他の四大公害でも同じだが、被害と原因が認められて、法律で規制されるまで対策ができなかった。(や)

・Q11  今の空気清浄器の値段はいくらくらいか?
A   10万円くらいで買えるのではないか。

・Q12  大人と子供でぜんそくの被害に違いはあったか?
A   大体10歳以下の子供と55歳以上のお年寄りが被害を受けていた。被害が最悪の時には20歳代、30歳代の人もいたようだ。

・Q13  ぜんそく以外の被害はあったのか?
A   特に被害は無かったと思う。ぜんそくは発作が夜から明け方にかけて出ていたが、それ以外はあまり出ていない。

・Q14  コンビナートが出来て、海水が汚れてしまったが、その汚れた水はどうやって無くなっていったのか?
A   四日市はコンビナートの町であるとともに、港湾の町でもある。港には大きな船が通れるように航路を整備するために浚渫と言って海底の泥を取り除いて深くする作業を行っていった。その浚渫の際にヘドロが取り除かれたため海はまたきれいに戻っていった。浚渫で出たヘドロは霞コンビナートの埋め立てに使われた。

・Q15  四日市ぜんそくはほかの地域のぜんそくと違うのか?
A   患者の調査からは四日市の患者から検出されて、他の地域の患者からは検出されない物質がある。また、患者が四日市から遠く離れた地域に行くと症状が改善する事例が知られている。

・Q16  亜硫酸ガスの胎児への影響は?
A   胎児への影響は知られていないが、子供の死亡率は全国平均の3倍くらい高かった。

・Q17  漁民一揆を起こした人たちは結局排水口を封鎖できたのか?
A   第一コンビナートにあった発電所が四日市港の汚れた海水を冷却水として取水して、鈴鹿川方向へ排水していたので、磯津漁港の方の水も汚れ、魚が捕れなくなった。それを逆方向にしてほしいと要請したが聞き入れられなかった。 そこで、住民は実力行使で、廃船と土嚢で排水口を封鎖しようとしたが、警察が出てきたりして封鎖はできなかった。 あるとき、当時の三重県知事が磯津あたりの魚が臭くて食べられないと聞き、視察に来た際、磯津で捕れた魚を食べたが「臭い」っと言って吐き出した。これを見て住民は知事に現実を知ってもらって何か対策をしてくれるだろうと拍手したが、その場にいた電力会社の社員は「おいしい」と言って食べていて住民を驚かせた。そういう被害に対して、企業側はお金を払い解決しようとしたこともあった。 漁業関係者は海底に棲む魚は油臭くて食べられないので、少しでも油臭くない魚を捕って生活しようと、四日市港の外からやってくる回遊魚を捕ったりもした。