四日市公害裁判提訴から47年。
四日市公害訴訟に関しましては多くが「判決以降○○年」という表現を使います。しかし、実際はその判決時(1972,7,24)の10年も前から被害が出始めています。そして、裁判の提起された(提訴)のは1967(昭和42)年9月1日でした。今かDSCF3933ら47年前ということになります。当時の中日新聞が8月1日付けで前段記事を掲載しています。被告6社、原告9人は確定していますが当初は慰謝料のみの請求でスタートしています。一人当たり200万円で総額1800万円ですから実に慎ましい請求です。見出しにある「五千万円」は損害賠償を加えたときの見込み金額です。第2回口頭弁論で損失利益として6500万円が追加され最終的には総額2億円余が6社に対する請求額となっています。
それから5年近くかかって72年に判決が出されますが、認定されたのは総額8800万円余というのは周知の通DSCF3930りです。半額以下に値切られているわけですから金額的には決して十分ではありませんが、「共同不法行為」など原告側の主張が全面的に認められたことに大きな意義があったということです。この当時で四日市の公害認定患者は378人、すでに二人の
男性が苦しみに耐えられず自殺でなくなっています。
来る9月20日(土)には公害犠牲者合同慰霊祭が開催されます。こうした歴史的事実を心に刻んで参列をしていただきたいと思います。
○「四日市公害と環境未来館」準備室=来年3月末オープンめざして職員の方が頑張っています。市役所5階「環境保全課」の奧の一角で無数の資料に埋もれてパソコンとにらめっこの毎日のようです。ご苦労様です。期待しております。