メッセージ

 記者でありディレクターであるということで番組の取材をしているときにがんばってもらっています。ここ2,3年ずっと四日市の方に通われまして、特に今年の五月には、「ツナガル」という五十四分におよぶ長編をつくっていただきました。この作品は、この七月の「市民の集い」というときに、上映させていただきましたけども、ご覧いただいた方もいるかと思いますが、大変好評でありました。特に、谷田さんを取材しながら作り上げたということで非常にすばらしい作品だと思います。今後も是非がんばっていただきたいと思いますが、今日は、ご自身からメッセージを頂戴するということでよろしくお願いします。

 ただいまご紹介にあずかりました三重テレビ放送の深井小百合と申します。
 去年、私は、「勝訴判決から40周年」を取材をさせて頂いたということで、このような場で挨拶をする機会を頂きました。
 私は三重県の出身ではありません。広島出身で祖母が原爆を受けた「被爆三世」です。「四日市公害・四日市ぜんそく」は教科書で習った程度でした。

 当時の公害を知らない世代の私が取材をして大丈夫なのかという不安もありお話伺いに行くのにも初めはためらっていました。
 しかし 去年 40周年を迎えたことが、公害について知るきっかけとなりました。そこでは、出会った皆さんが丁寧に思いや経験を伝えて下さり、後の若い世代へ過去の教訓をつなげていこうという思いを感じ、私たちの世代がこれから伝えていかなくてはいけないのだということを気づかされました。

 メッセージ者の二人メッセージ者の二人 そして 今年の春、私は高度経済成長期の日本に匹敵するほど空気の汚染が進んでいると言われた中国へ行きました。  
  私がいった広州という町は大きなビルが立ち並び、東京のスカイツリーに次ぐ世界2番目の高さを誇る広州タワーも建っていました。こういった華々しい成長の影で、空気は「白い霧」でよどんでいて川からは異臭がしていました。
 2010年に中国で大気汚染が原因で亡くなった人は約123万4千人にものぼったといいます。
  今の四日市の環境などについては色々とご意見があるかと思いますが、中国から四日市へ帰って来た時、素直に「空気がきれいだな」と感じました。
  しかし、去年様々な方のお話を伺う中で、環境がよくなってきても決して元に戻らないものがあることを知りました。それは命です。多くの方が命を落とされたほか、今もなお、ぜんそくに苦しんでいる人はたくさんいらっしゃいます。本人はもちろん、その家族も公害によって全く別の生き方を強いられることになってしまいました。
 今、豊かな生活をしている私たちはあの苦しみを伝えることができるのでしょうか。教訓を生かせているでしょうか。
 過去を伝えるということについては、今年私の故郷広島を伝える漫画について議論が起こりました。皆さんの記憶にも新しいと思いますが、漫画「はだしのゲン」の閲覧制限についてです。

  漫画や歌、フリーペーパー、語り部、インターネット、テレビ、新聞・・・様々な方法で思いを伝えることができますが、どのような方法にしても伝えること、そして知ろうとすることをしなければ、また同じことを繰り返してしまうのではないでしょうか。

 四日市は判決から41年目を迎えましたが、今後、どのように伝えていくか、今しか知ることができないものをどう残していくか、私たちの世代にも課題を与えられたように思います。
 私たちは 改めてここに先人の努力を思い、教訓を知り、伝えていくことで、もう二度と同じことを繰り返さない為に力を尽くすことを誓い、公害犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げます。

平成25年9月21日
三重テレビ放送 深井小百合

榊枝さんからのメッセージ