{jatabs type="content"}[tab title="9月"] 9月15日 四日市ぜんそく公害訴訟原告患者の塩野輝美さん(船大工)が、判決後、磯津から追分に移住、療養していたが、多臓器不全で亡くなった。(79歳)。訴訟原告患者は9人であったが、訴訟中に2人が亡くなり、判決後5人が、残った2人のうち塩野さんが亡くなり、野田之一さん1人になってしまった。四日市公害は、公害裁判で代表されるだけに、その主役が亡くなっていくことに無常の寂しさを痛感する。
9月16日 四日市市環境保全課は、大気汚染防止法に基づいて三重県と実施した2010年度大気環境測定結果を発表した。NO2は、県内の市街地や幹線道路沿いなど計28カ所で測定した結果、四日市市蔵町の国道23号線沿いだけが環境基準に達しなかった。Noxは四日市市尾平町など県内20カ所で、微小粒子状物質(PM2.5)は蔵町と津市久居野村町の2ケ所で環境基準に達しなかった。県と市は、自動車の排出削減対策や工場への計画的な監視指導などを継続し、改善につとめるとしている。
9月24日 四日市公害患者と家族の会主催の公害犠牲者慰霊祭があり、市長として初めてと言っていい田中俊行市長が参列、追悼の辞「健康回復に最善を尽<し、二度と不幸な歴史を繰り返さない、公害資料館を整備し、教訓を未来に引き継いでいきます」と述べた。(公害患者現在数441名)
9月30日 「毎日新聞(夕刊)」“公害半世紀-四日市は今”連載記事始まる。この日、上・まだ終わっていない 中・歴史発信ようやく 10月1日 下・本当の青空きっと戻る3日。 [/tab][tab title="10月"] 10月2日 ウミガメ保存会主催の月例清掃作業の後、公害市民塾メンバーによる「四日市公害」についての語りべ学習があった。壕所はウミガメが上陸、卵を産んだ楠町吉崎海岸で、老若男女140人ほどが、約1時間の清掃でトラックいっぱいのゴミを集めた。
10月6日 四日市市教育委員会の教育懇談会が、市環境学警センターであり、教育委員、教育長、教育監、政策推進監のほか各課長など20人ほどと、山本環境学習センター所長、野田之一訴訟原告患者、市民塾の山本勝治、澤井余志郎が出席。環境学警センターの活動、市民塾の語りべなどについて報告のあと、フリートーキングがあり、四日市公害学習を教員や市民にひろげることなどについて話し合いがなされた。
10月21日 国内最大規模の産廃が市内大矢知・平津地区に不法投棄されていた問題で、大矢知連合自治会役員と、県・市が、産廃の覆土や排水対策の工法について合意。今後、県は国から事業費の45%の財政支援が受けられる特定産業廃棄物支障除去特別措置法(産廃特措法)が適用されるよう実施計画を策定し環境省に提出する。 [/tab][tab title="11月"] 11月2日 三菱化学四日市事業所は、かって公害裁判で争った原告患者の野田之ーさんを事業所に招き、幹部社員40名余が、公害裁判や公害被害などについての話を聞き、質疑応答の機会をもった。判決39年ともなると、社員は公害裁判世代ではなく、判決後世代で、かっての公害を学び、あやまちをくりかえさないとする姿勢は褒められて良い。
11月5日 四日市市環境学習センターの呼びかけで、四日市公害解説ボランティア養成講座があり、20名が参加。午前は、環境学習センターでパワーポイント「四日市公害」を学習。午後は、ヘルスプラザ(もと公害患者たちの駆け込み寺の県立塩浜病院のあった場所)から、塩浜小学校、磯津まで歩きながら市民塾メンバーの解説を聞いた。
11月10日 四日市市は、2014年の開館を目指す公害資料館についての「あり方検討会」で、基本計画の骨格案を示した。案では、資料展示と学習拠点、活動拠点を資料館の三つの基本機能とし、資料収集や情報発信などをする。公害の発生と歴史のほか、環境改善の取り組みを展示し、語りべによる講和なども検討する。施設は既存の公共施設を利用する方針で、公害が発生した塩浜地区周辺での立地を考えている。
11月10日 四日市市で開催された第2国全国工場夜景サミットに合わせ、夜景クルーズ(名鉄観光船)があり、川崎市や室蘭布、北九州市などの観光業香ら100人が乗船した。これには、田中四日市市長や野田訴訟原告患者(招待)らも参加した。以前、四日市市は持ち船“いなばⅡ”による四日市港から第3コンビナート周辺海域の遊覧船を運航していた。当時は情緒があったが、夜景クルーズはそれに比べ、忙しい運行や高料金であることなどが気になった。
11月11日 四日市市は、四日市公害資料館を、塩浜町の三重北勢健康増進センター(ヘルスプラザ)の二階のトレーニンクルームなどを廃止したスペース2千平方㍍での案を市議会議員説明会で示した。市制作推進部は、公害が発生した石油化学コンビナートに近い立地で、公害患者を治療した旧県立塩浜病院の跡地にあることなどを選定理由に挙けた。
11月18日 石原産業四日市工場は、農薬生産設備を一般公開した。有害ガス・ホスゲンの無届製造などの問題を起こした2008年6月以降、毎年春と秋に情報公開の一環として公開している。もっとも問題の大きな農薬工場を公開していることはないことだけに、良いことだが、市民としては工場の説明を聞くだけで、「理解・知識」のある科学者などが同道して疑問点などを現場で聞くことがあれば、市民の理解も深まるのにとの感想を見学者としてもった。
11月18日 石原産業(大阪本社)は、四日市工場内に10月末現在、放射性物質を含むフェ□シルトが約22万トン残っていることと、2014年度末までに全量撤去して処分する方針を示した。
11月29日 コスモ石油は四日市製油所に、ポリエステル製品などに使うミックスキシレンの蒸留装亜を新設、12月20日をめどに営業運転を始めるとした。ミックスキシレンはガソリン原料のナフサを蒸留して製造する。国内のガソリン需要が低迷するなか、ナイロンやポリエステル製の衣料品などを最終製品として、拡大が見込まれる中国市場こ売り込み収益向上を狙うとしている。生産能力は年間30万トン。装置の総事業費は82億円。
12月22日 第4回「公害に関する資料館あり方検討会」があり、委員から「名称には四日市公害資料館とはっきり明記しなければ意味をなさない」との意見が出された一方で、塩浜連合自治会長からは「資料館こは反対ではないが、塩浜のヘルスプラザヘの併設に反対する」意見もあった。 [/tab] [tab title="2012年1~3月"] 1月27日 塩浜連合自治会会長たちが、「公害資料館を塩浜のヘルスプラザに併設することに反対すると市長、市議会議長に申し入れたことに対し、田中俊行市長が、この日の市議会議長説明会で「塩浜地区での立地は限りなくむつかしい」との認許を示した。
2月6日 国土交通省中部地方整備部四白市港湾事務所は、臨港道路「霞4号幹線」を津波や高潮が起きた時の緊急避難場所として整備していく考えを明らかにした。
2月8日 四日市市は2014年度の開館を目指す公害資料館で、一般会計当初予事案に関連事業費7000万円を計上した。公害資料館整備では、環境保全課内に資料館準備室」を新設する。準備室は6人体制で、公害資料の調査や収集、分析、施設や展示の企画設計を担うとしている。
3月17日 四日市市の東産業に勤めている会社員で26歳の若手・榊枝正史氏が、この日から12月にかけ、毎月1回の「公害判決40周年プロジェクト」連続講座を開始した。この日、市環境学習センター研修室で第1回「公害語りペになろうとした理由」について語った。 [/tab] [tab title="5月"] 5月22日 四日市市は議長説明会で、公害資料館の候補地として、市立博物館と本町プラザの2か所を提示、9月までに立地場所を決めるとしている。
5月23日 田中市長は定例記者会見で、公害資料館の候補地として示した二か所のうち、「情報発信力と利便性の面で市立博物館の方が魅力はあるかなと思う」との見解を示した。
5月27日、津市の三重大学を会場にして開催された、日本科学史学会主催の「四日市公害裁判と研究者・市民-判決後40年の節目に」と題した公開シンポジウムがあり、学者や学生、市民ら150人ほどが参加、宮本憲一大阪市立大名誉教授の講演の後、パネリストに宮本教授、四日市公害訴訟原告弁護団の野呂汎弁護士、四日市公害記録人の澤井余志郎がパネリストになり討論が交わされた。 [/tab] [tab title="6月"] 6月1日 津市の三重大学が5億円を費やして建てた環境・情報科学館で、「四日市公害判決40周年写真展」がこの日から7月末まで開催され、四日市再生「公害市民塾」メンバーと原告患者の野田之一さんが出かけ、学生らに当時のことなとについて説明などをした。
6月2日 石原産業四日市工場は、1日、発がん物賃のポリ塩化ビフェニール(PCB)を含む油が5ミリリットル洩れたと三重県に届け出た。
6月6日 三重大学が、環境科学館で、野田之一原告患者と公害市民塾メバーの伊藤・山本・澤井との4人と学生百八十名との四日市公害裁判40周年にあたっての対話集会が持たれた。司会は朴恵淑副学長がされた。
6月9日 「公害に関する資料館ありかた検討会」で、会場、名称について話し合われ、場所は市立博物館に併設、名称については「公害資料館」が強調されていた。市は、この日の議論をふまえ、8月中に再度検討会を開き、展示内容を示した基本計画とともに開設場所をきめることを明らかにした。
6月11日 一貫して被害者側で、水俣病などに向き合い続けた、熊本学園大学教授の原田正純さんが亡くなった。(77歳)
6月19日 四日市公害訴訟原告患者の野田之一さん(80)が、昨年の三菱化学四日市事業所に引き続き、三菱同様公害訴訟被告企業の昭和四日市石油四日市製油所にまねかれ、公害(裁判)などについて話した。社員は公害裁判判決以後に入社した人ばかりで、脱公害裁判世代。企業として褒められてよい学習である。
6月29日 化学メーカーの石原産業(四日市工場)が、有害物質を含む産業廃棄物「フェロシルト」の商品名で販売した不法投棄事件で、株主3人と同社が、旧経営陣と元工場長(遺族を含む)らに撤去費用480億円を会社に賠償するよう求めた民事訴訟の判決が大阪地裁であった。松田裁判長は、会社の損害と認めた485億8400万円の支払いを、遺族3人を含む5人に命じた。[/tab]{/jatabs}