市民塾が立ち上がったのは、勝訴判決から25年の1997年でした。それ以前にも、公害を記録する会を中心にして、資料館の設置に向けて要望が行われてきました。ことごとく、要望は採用されませんでしたが、新しい市長になってからは、資料館設置に向けて大きく前進してきました。公害を忘れず、教訓を生かすという市民塾が要望してきた内容は一貫しています。そこで、これまで市民塾のHPに掲載された活動や資料を整理し再掲載しました。資料館設置に向けていろいろな意見が出ているようですが、「くさい魚と四日市ぜんそく」をはじめとする四日市公害を被ったという原点を大切にした資料館となってほしいと願います。

資料「四日市公害と行政」より

1992年〔平成4〕
 3月、四日市公害判決20年のこの年、公害訴訟弁護団と公害を記録する会とで、来年開館される市立博物館に、公害訴訟の書証一切を払い下げるよう、市として裁判所へ働きかけてもらったが、加藤市長はストップをかけてしまい、市立博物館での公害展示は今も何もない。
※1993年11月、四日市市立博物館・開館

1995年〔平成7〕
 1月、四日市市環境計画策定について、市民から『公害資料館』の建設と公害学習についての意見書を提出したがとりあげられず。
※1996年8月、市は、本町プラザの建物内に、公害資料館ならぬ『環境学習センター』を開設した。