四日市公害を「知る」「見る」「考える」
1、 四日市公害について、知る、考えるうえで、欠かせないのは「四日市ぜんそく公害訴訟」(1967年9月1日・提訴 ~1972年7月24日・判決)である。被害者・住民側からみて、この訴訟(公害裁判)を起さなかったら、起しても敗訴していたら、四日市の住民だけでなく、“公害列島”と呼ばれた全国の公害被害地の住民も、もっとひどい被害にあって苦しんだ、自殺者が多発したであろうことは容易に想像される。
一方、加害者側の火力発電所と石油化学工場のコンビナートも、加害の暴走を「敗訴」することによりとどめ、加害行為を認め、公害対策を採らざるを得なくなった。
2013年11月に更新した参考資料です。上記のものの他に、当時の市長の声などがあります。
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