1、四日市公害は、水俣と並ぶ戦後公害の原点であり、ノーモアヨッカイチは、日本だけでなく、世界でも知られている公害であり、改善についても、四日市は注目されていて、ICETTに各国から研修に来ている。公害の歴史学習でも外国から来ている。

2、三重県内外からも、小学校5年生が毎年20校以上が四日市公害学習で四日市を訪れている。大学生や研究者も来ている。その受け入れ先は、かっての公害激甚校である塩浜小学校と一部環境学習センターである。塩浜小学校は、公害に負けない体力つくりにはげんだ「うがい室」や、校庭のほこり除けスプリンクラー、芝生、外周の樹木、それと展望室があり、なによりも、公害被害で校歌の一節を改作したなどの爪跡があり、公害と改善を学ぶに適した場所になっていて、代々の学校長・教頭先生などが、心良く受け入れをしてくれているが、いつまでも余分なご苦労をおかけするわけにはいかない。
幸い、隣のヘルスプラザは、もともと、かって、県立塩浜病院があり、塩浜地区住民で公害裁判原告患者の入院先であった、歴史を持つ場所であり、塩浜小学校の隣にも位置していて、四日市市長の言う公害学習を行うのに最適の施設である。

3、そうした施設利用場所のほかに、名称も重要である。新潟に「新潟県立環境と人間のふれあい館」という施設がある。四大公害裁判の一つとして「新潟水俣病資料館」を建てるとなったとき、地元から「イメージが悪い」との声が出て、聞いただけではなんの資料館かわからないので、せっかくの資料館の利用者が少ない、近年サブタイトルで「新潟水俣病資料館」と付けるようになり、来館者が増えてきたようで、四日市では、「ノーモアヨッカイチ」は世界語になることもあり、正直に「四日市公害資料館」と命名すべきである。環境学習はどこでもできるが四日市公害学習は四日市でなければならない。

4、小学校5年生の社会科で「四大公害」の単元があり、6年生の修学旅行で、県外の小学校から、「修学旅行で伊勢志摩へ行くが、三重県といえば四日市公害があったところで、復習を兼ね、半日四日市現地で学ばせてやりたいので語りべをしてほしいと滋賀県の小学校から公害市民塾へ依頼があり、3校ほどボランテア活動をしたこともあり、水俣病資料館にならって受け入れを考えることもあっていい。

5、なによりも、四日市公害発祥の地の塩浜地区住民の公害患者が、地元住民の支持が薄い中、病苦をおして5年間がんばって「勝訴判決」を勝ち取り、公害対策を根本的におしすすめる原動力になった事実は高く評価されてしかるべきものであり、四日市公害の聖地、塩浜に公害資料館はもっともふさわしいといえる。

■ NHKTV『灰色の空は消えても』-四日市公害判決から20年-(30分)
1992年(平成4年)7月11日 放送

加藤寛嗣・四日市市長の話
「四日市っていうのは公害の町だと…、私どもは公害を克服した町だと、当時の、発生源対策については十分出来たという町だという評価をしていただきたいわけですけれども、それは口で言ってもダメなんで、現実に四日市に来て、見ていただく以外にないというふうに、私ほ思っています。だから、そのために、大勢の人たちが四日市へ来ていただけるような状況を、町として造っていく必要があるというふうに思っています。

■公害裁判原告患者・野田之一さんと田中俊行・四日市市長との話し合い
2011年11月12日「朝日新聞」記事から

田中俊行市長があいさつに来た。野田さんはしやがれ声で、公害の時代を振り返った。「四日市がこんだけになるとはな。だれも認めやんだろうな、あのひどい時から見たら。犠牲はあったが、はよ良くなっただけ幸せやわな」「こんなええ四日市に住めるとはなあ。よかったあ」
田中市長は言った。「野田さんらがね、裁判を起こしてくれた。その成果やと思いますわ。あれがなかったらね、もっと遅れていた」
「オレのおるうちに、四日市から公害の名が消えてくれやんかな。私らは自分が助かりたいために裁判を起こしたんやから、私らが四日市は悪いって宣伝したんやもん」
「いや、でもそれがあったからこそ、今があるわけだし」
2人だけの会話は、15分ほど続いた。野田さんの友人が最近、中部電力川越火力発電所のそばでクロダイを釣ったこと、モンゴルの大気汚染がひどくなっていること、子どもたちに昔の自然の良さを伝えていかなければならないこと・・・。
生きている原告患者は野田さんただ一人になった。「市長さんとこんな話をしたのは始めてや。よかった」75キロの体重を支えるには弱々しい足どりで、磯津への家路に就いた。

 

「四日市公害資料館」であるべきである

1)この委員会の委員は、四日市市長の公約「公害学習をすすめる」に基いて、「公害に関する資料館(仮称)あり方検討委員会委員に委嘱します」とあり、委員は公害資料館つくりについて検討することを任務としている。それに反対する委員がいたら辞退すべきである。

2)新潟水俣病資料館は、地元の意向で「新潟県立環境と人間のふれあい館」という名称ではじまった。もともと新潟水俣病裁判判決を受けてつくられたものであるが、これでは、中味は分からない。環境は新潟まで行かなくてもどこででも学習できる。来館者が少ない。県知事が代わったこともあり、「新潟水俣病資料館」の名称をつけることにしたら来館者がふえてきた。

3)四日市公害は今や、国内だけでなく、世界的に「ノーモアヨッカイチ」として知られ、各国からも四日市を訪れている。毎日新聞は“ヨッカイチを世界語に”と、四日市市局長が提言していた。その四日市で、公害は悪いイメージだとして、公害かくしをしたら、せっかくつくった資料館の存在が危ぶめられる、恥さらしとなる。