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公害・環境再生・まちづくり [日誌】 2011年(平成23年)6月1日~9月20日

{slide=6月10日 若手研究者の交流会}
 日本環境学会「第37国研究発表会」が11日から13日にかけ三重大学で開催される前日のこの日、同大学で、若手研究者の交流会があり、市民塾の榊原正史が地元の「四日市公害」について、自身作製のパワーポイント109コマを使い1時間半にわたり、発生から現状・課題などのついての報告をした。15名ほどの研究者がその報告をもとに熱心な討論を行つた。{/slide}

{slide=6月13日 日本環境学会3日目}
 日本環境学会の研究発表会の3日目、エクスカーションが四日市で開催され30名ほどが参加した。テーマ「四日市から公害患者の支援を考える」が、担当:粟屋かよ子四大教授で、午前は磯津公会所で、司会:萩森繋樹・磯津環境学校主宰者で、四日市公害患者と家族の会・塚田盛久事務局長、磯津未認定患者の妻と野田之一原告患者が現状などのついて話したあと、東京・川崎からの参加者の報告があり、①患者支援の組織の在り方、②未認定患者の救済の柱で話し合いが行われた。
  午後は、澤井余志郎・語り部の案内で、磯津漁港、鈴鹿川河口、磯津児童の通学路を歩き、塩浜小学校のうがい室での体験、展望室での周囲を眺め、会議室での話し合い。解散。「四日市公害犠牲者慰霊碑」に行きたい参加者は、粟屋教授が案内した。{/slide}

{slide=6月18日 青空どろぼう上映初日}
 東海テレビ製作の映画「青空どろぽう」の上映(初日)が東京東中野ボレボレであり、上映後、東海テレビの阿武野勝彦・鈴木祐司監督と澤井余志郎が舞台あいさつ、2.3のやりとりがあった。
 この後、名古屋のシネマテークで上映、順次各地での上映となる。7月10日には「特別試写会」として、三重県いなべ市で、NPOいなべ市文化協会(種村浩人会長)が主催して行われる。
7月10日 東海地方初の東海テレビ制作「青空どろぽう」の特別試写会が、いなべ市布民会館さ<らホールであり、いなべ市長の舞台挨拶、四日市市長の「メッセージ」披露、三重郡菰野町長らの来場など、特別試写会にふさわしい試写会になった。上映後、東海テレビの阿武野勝彦・鈴木祐司共同監督、野田之一・澤井余志郎の4人と、東海テレビ女性アナウンサーの司会で、トークがあった。
 「青空どろぽう」の元になったテレビ番組「記録人 澤井余志郎」が、中部・北陸の民放各社出品のドキュメンタリー番組18本の審査で、第一位に選ばれた。{/slide}

{slide=7月12日 東芝四日市工場新製造棟}
 スマートフォンなどに使われる半導体のフラッシュメモリーを生産する東芝四日市工場で、5棟目の新製造棟の竣工式があり、佐藤浩司工場長は「地元雇用の予定はないが、建設会社やホテル、タクシー、飲食店など、直接、間接に地元に貢献できる」と述べた。新製造棟の完成により、5年間で固定資産税が100億円増える見込み。{/slide}

{slide=7月16日 青空どろぼう東海初の上映}
 映画「青空どろぽう」東海地方初の一般上映が、この日、名古屋のシネマテークであり、東海テレビ放送制作スタッフ阿武野・鈴木監督、塩屋撮影、野田・澤井が上映後にトーク。{/slide}

{slide=7月24日 四日市公害訴訟判決39周}
 四日市公害訴訟判決39周年市民集会が、四日市再生「公害市民塾」主催、本町プラザ1階ホールで開催。メーン講演は国際基督教大学・池田理知子教授の「四日市・水俣をつなぐもの」で、四日市公害資料館設立について貴重な教示があった。話し合い「公害資料館について語ろう」は、時間切れで中途半端になった。{/slide}

{slide=7月28日 教員公害学習研修会}
市教育委員会呼びかけの「夏休み教員公害学習研修」が、塩浜小学校と、公害被害地磯津を歩くを主に、環境学習センターと公害市民塾とがガイドした。応募教員は定員を超え50人に近い参加者で、塩小から磯津まで暑い中にもかかわらず自分の足で現地研修を行った。{/slide}

{slide=8月1日 外国から}
昨年に引き続き、四日市市との都市提携をしている、中国天津市と米国ロングピーチ市の高校生ら20余名がICETTの招きで、四日市公害研修に訪れ、公害市民塾メンバーが語りべをした。
 昨年は、中国の中学校生が大気汚染疾患について展示写真を見ながら時間を超過しての質問を繰り返し、メモをしていた。{/slide}

{slide=8月2日 第1回公害に関する資料館(仮称)あり方検討会}
 四日市市が設置を目指している四日市公害資料館ついて「第1回公害に関する資料館(仮称)あり方検討会」が、市総合会館2研修室であり、16名の委員に田中市長から「委嘱状」が一人一人に手渡された。(委員16名中1名欠席)会長・副会長は事前に内定していた、今井正次三重大教授、鬼頭浩文四大教授が承認された。環境保全課作製のパワーポイントで基本構想素案が説明され、委員一人一人が発言した。認定患者等の部門からは野田之一、谷田輝子患者家族会代表、環境団体部門からは桐生定巳(自然保護推進委員)、平出恒志(温暖化防止推進員)、横関秀行(環境クラ会長)、澤井余志郎(公害市民塾代表)らのほか三菱化学、昭石、東芝の企業などが委員になっている。次回の25日で基本構想への意見をまとめ、具体的な計画の議論に移り、3年後の2014年度の開館を目指すとしている。{/slide}

{slide=8月2日 企業と安全対策の話し合い}
 四日市自治会連合会27地区の連合自治会長と企業13社の代表が、市消防本部中央分署で、安全対策について意見交換を交わした。企業側は、三菱化学、コスモ石油、東ソーの3社が代表して東日本大震災後に強化した地震や津波対策などを説明。港地区の会長は「堤防の高さは十分と言うが、強度はどうなのか」などの発言があった。{/slide}

{slide=8月25日 第2回公害に関する資料館のあり方検討会}
 第2回「公害に関する資料館あり方検討会」。16日までに提出された各委員からの「意見」を中心に論議。1回目の会合で出された意見にもとついて、事務局で手直しした「基本構想」改定箇所についての説明があり了承、あとは正副会長に任せることにした。次回は10月頃の予定。{/slide}

{slide=8月27・28日 社会教育研究全国集会}
 静岡市で開催された「第51回社会教育研究全国集会」に、“公害資料館が現実味をおぴてきだ”ことについてこの集会の「博物館分科会」で報告するようにと招待された公害市民塾の山本・澤井が出席、2日目の28日に報告。これについて公民館などの出席関係者が経験にてらしたことからの助言などがあった。(3日日の29日は欠席)。全体集会の初日に宮本憲一大阪市立大名誉教授が「東日本大震災とTPP加入問題」についての基調講演があった。{/slide}

{slide=9月4日 青空どろぼう四日市上映}
 東海テレビ放送が、1年間かけて取材、制作したドキュメンタリー番組「記録人 澤井余志郎」(51分)を昨年(2010年)11月7日に放送したあと、過去の記録映像なども加え編集した「青空どろぽう」の四日市現地上映会を、四日市再生「公害市民塾」が中心になって、12号台風で風雨激しい中、四日市市総合会館で開催した。風雨を心配したが220隻に補助いすを並べるなどの盛況であった。上映後、東海テレビの阿武野監督と塩屋撮影者、現地から野田原告患者・澤井記録人によるトークがあった。田中俊行市長は当初この会場に来て挨拶されるよていになっていたが公務で来られなくなり、「公害はまだ克服されていない」「公害認定廃止後の状況について考えたい」などの文言があり、これまでの歴代市長とは雲泥の差をみせていた。{/slide}

{slide=9月6日 明星大学来市}
 東京の明星大学の熊本博之教員と学生16人が、マイクロバスで来市。公害市民塾の案内で磯津、塩浜小学校、そのあと環境学習センターで四日市公害現地研修を行ったあと、近鉄四日市駅近くのホテルに一泊、自分たちで垂坂公園からコンビナートの夜景を観賞、翌日は第3コンビの東ソーの工揚見学。{/slide}

{slide=9月11日 原発反対デモ更新}
 最大の環境破壊をもたらす原発にさよならをしようと、熊沢誠さん(甲南大学名誉教授)や阪倉加代子さん(もと市教育次長)など個人の呼びかけで、ただの市民の集会とデモ行進があり、100人ほどの予想を超える250人ほどが、市民公園で集会のあと、市中央部3キロほどを行進した。四日市では、反公害でもなかった文字通りの市民集会デモで、四日市も捨てたものではない満足感。{/slide}

{slide=9月14日 立命館大学来市}
 立命館大学公務研究科・鵜養幸雄教授と大学院生23名が、四日市公害学習で来市。市環境学習センターで、「四白市公害」DVDによるあらましと、館内の「公害写真展」「公害資料室」の説明などのあと、バスで第1コンビナート(塩浜街道)を経て、磯津海岸でのガイドを、学習センター所長・職員と公害市民塾メンバーで行った。市民塾の伊藤三男さんが立命館卒業生と紹介したら、拍手をあぴていた。{/slide}

{slide=9月14日 公害資料館の基本構想}
 四日市市公害資料館について、市は基本構想をまとめ、市議会都市・環境常任委員会協議会で示した。基本構想では、資料展示や学習拠点、環境を考える活動拠点の3機能を取り入れ、国や県の環境施設、市民の語りべ活動、企業などとも連携できる資料館としている。{/slide}

  9月24日午前10時より、北大谷霊園で四日市公害で亡くなった人たちを追悼する「公害犠牲者合同慰霊祭」が営まれました。遺族や市民団体のメンバーらが参列し、この1年間に亡くなった19人を加えた985人の犠牲者の冥福を祈りました。

四日市市長追悼の辞を述べる四日市市長 今年は田中俊行四日市市長が、市長としては三十数年ぶりに参列しました。「環境改善が進んできた現在も441人が認定患者となって苦しみ、まだまだ公害を克服したとは言えません。公害資料館を整備し、公害の歴史を風化させることなく、未来に引き継いでいき、二度と不幸な歴史を繰り返さないと決意します。」と追悼の辞を述べました。原告患者の野田之一さんや四日市公害患者と家族の会代表の谷田輝子さんらが慰霊碑に花束を添え、参列者が次々に献花しました。

 式の中で、石田裕一さん(遺族)がこの日のために作った歌を犠牲者と遺族、そして公害の歴史を引き継ぐ人のために歌われました。さらに、磯津環境学校、NPO環境市民大学、公害市民塾から、それぞれ報告やらアピールがあり、公害資料館への期待やこれからの活動について述べられました。

-公害四日市の今について考える-
澤井余志郎

はじめに

 油くさい魚と四日市ぜんそくに代表される“四日市公害(被害)”が発生したのが1960年(昭和35年),それから数えて50年の半世紀が経つ。
 四日市公害事件は,四日市公害ぜんそく訴訟(裁判)に集約される。原告患者側勝訴判決は1972年(昭和47年),それから数えても40年を経過しようとしている。
 その四日市で,“四日市公害”はどうなっているのかが問われている。四大公害訴訟(裁判)では,新潟水俣病,富山イタイイタイ病,熊本水俣病は過去に汚染物質の排出で被害をこうむった事件であるが,四日市ぜんそくは汚染物質(亜硫酸ガスなど)の排出が続く現在進行公害事件で,患者側「勝訴判決」で支援者たちが“ばんざい”している向こう側で,加害工場の煙突からは,法廷で裁かれた汚染物質の煙は変わることなく排出されていて,勝訴判決報告集会で原告患者を代表して野田之一(漁師)さんは「裁判では勝ちましたが,これで公害がなくなるわけではありませんので,公害がなくなったときに“ありがとう”の挨拶をさせてもらいます」と,とりようによっては不遜とさえ聞こえる挨拶を支援者たちにあえて行った。

 四日市ぜんそく訴訟は,操業差しどめ請求では長期化・却下のおそれもあり,四日市公害訴訟弁護団は次の「意見」を表明,現在進行の公害に対処した。
 死者まで出しながら,四日市市は第3コンビナートづくりを進めている。
 憲法25条(国民の生存権)は,亜硫酸ガスのなかで死んでいる。その責任を誰も負うことなく被害が進行している。この無責任状態にまず終止符をうたせよう。現実の被害に対し,一刻も早く,直接の加害者企業から,当然の賠償をさせることによって,もって行き場のない混沌の中に責任追及の一筋の道を切り開こう。最も素朴かつ単純な,直接の加害者への不法行為責任の追及という闘いを通して,国や自治体の施策の根本も盤上に上らざるをえなくなるだろう。
 つまり,裁判勝訴で解決する公害ではなない,患者にさせられた被害者が,加害者はコンビナート工場であることを判決で勝ち取り,市民運動を強化して,公害患者全体の救済と,公害発生源への規制強化を国・自治体に要求・実現する「損害賠償等請求事件」であった。
 勝訴判決後の記者会見で,記者団から「勝訴判決をもらって,なにが一番うれしかったか」と問われた野田原告は,「裁判を起こす前,工場へぜんそくになるような悪いガスを出さんでくれ……って言いに行ったら,うちじやない隣の工場かもしれんと,6社とも言い,市・県へ言いに行ったら行政としてはどうにもならんって,みんな,うちじゃないと言う。それで裁判で白黒をつけてもらおうとなった。今日の判決で,うちじやないと言っていた工場が加害者だとはっきり言ってくれた,今日からは堂々と公害をなくせと言える,それが一番嬉しい」と,満面の笑みで答えていた。
 だが,この野田原告患者のメッセージは届かなかった。公害訴訟を支持する会に結集した支援者たちは勝訴をめざしての支援の目的を果たし,ばんざいと両手をあげて祝い,その明くる日から消えていき,判決を武器に公害根絶をめざす市民運動は急速に潰え去って行った。

 映画「青空どろぼう」上映会のご盛会をお喜び申し上げます。
 ご来場の皆様に、四日市市長として、メッセージを送らせていただきます。
 皆様ご承知のように、昭和三十年代に発生した四日市公害は、文字通り青空を奪い、空が工場の煙で覆われる日が多くありました。
 しかし、公害裁判や市民・企業・行政による、たゆまぬ努力の結果、現在では、青空が見えるまでに環境改善が進んできたことは、多くの人が周知のことと思います。
 一方で、公害による健康被害により、今も苦しんでおられる公害病認定患者の方々が四百人を超えており、いまだ公害を克服したと言える状況にはないと考えています。
 私達には、「公害は、まだ終わっていない」という認識のもと、今後も、さらなる環境改善に向けて、継続的な努力をしていく使命と責任があります。
 と同時に、四日市公害の歴史的事実や、その後の環境改善のプロセス、また現在の姿を正しく客観的に後世に伝えていくことも必要です。
 そのような観点から、昭和六十三年に「公害健康被害補償法」の指定地域が解除されてから以後の状況を、どういった形で把握できるかを検討するとともに、四日市公害の歴史から学び、未来志向で環境問題を考える拠点として、「(仮称)公害に関する資料館」を整備していく予定です。
 ご来場の皆様のご支援、ご協力をよろしくお願い申し上げます。

四日市市長 田中俊行

 2011年(平成23年)7月10日(日)、いなべ市北勢市民会館さくらホールで、東海テレビ制作の映画『青空どろぼう』の特別試写会がありました。
 はじめのあいさつの中で、田中俊行四日市市長からのメッセージが紹介されました。以下にそのメッセージを掲載します。 


 映画「青空どろぼう」特別上映会のご盛会をお慶び申し上げます。
 ご来場の皆様に、四日市市長として、メッセージを送らせていただきます。
 四日市公害を体験した四日市市民である私たちは、この事実を決して忘れてはなりません。そして、その後の環境改善のプロセスも含めて、公害の歴史を正しく客観的に後世に伝えていくことが必要です。
 くしくも、来年は公害判決四十周年を迎えることになり、四日市市では(仮称)「公害に関する資料館」の設置の具体的な検討を始めたところです。関係者の皆様のお声を聴いて、四日市公害の歴史から学び、未来志向で環境問題を考える意義ある資料館にしたいと考えています。
 あわせて、『公害健康被害補償法』の指定地域が解除されてから四半世紀近くたった今、改めて住民の方々の健康状態をどういった形で把握できるか検討しているところです。
 「公害はまだ終わっていない」という認識のもと、さらなら環境完全に向けて、たゆまぬ努力を続けてまいりますので、四日市市の環境問題への取り組みに対し、ご来場の皆様のご支援、ご協力をよろしくお願い申し上げます。 

四日市市長 田中俊行

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