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第2コンビナートをめぐるあれこれ
 2011_0312_130654-DSCF2322四日市公害訴訟は四日市市塩浜地区に存在する「第1コンビナート」を公害発生源として裁いたものでした。しかし四日市には第2・第3と称せられる石油化学コンビナートがあります。塩浜で起きた公害がこの地域にはなかったのか、と疑問が湧いたとしても当然でしょう。市民塾の2月例会ではその問題をとりあげ「勉強会」としました。簡単におさらいをしておきたいと思います。
第2コンビナートの中核をなしたのは「大協石油(現コスモ石油)」でした。1939(昭和14)年新潟県の小規模製油業者8社が、三菱・日石など巨大資本に対抗するため合同をし、四日市市の誘致に乗る形で太平洋側に進出してきたのです。42年(昭17)年4万坪の埋め立て地が四日市製油所のスタートです。四日市旧港の「潮吹き堤防」の外側に立地したのです。(写真右)12_971.8.11
 戦後は連合軍より「工場閉鎖」を命じられますが、朝鮮戦争とあいまって解除となりその「特需」によって生産性は特段に向上。さらに午起に20万坪が埋め立てられて関連企業ができあがり中部電力四日市火力発電所とともに「第2コンビナート」が形成されたのは1961(昭和36)年のことです。そして塩浜と同じような公害問題が発生していきます。判決40周年ということで塩浜の公害に重点が置かれますが、第2コンビのすぐ近く橋北地区にも公害があり反公害のたたかいがあったことを知ってほしいと思います。詳しくは追々お伝えします。(写真左・赤白煙突が大協〈現コスモ〉石油)


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