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四日市死の海と闘った

四日市海上保安部警備救難課長 田尻宗昭さんの四日市

澤井余志郎

海保へおもしろい課長が来た 石原産業公害刑事裁判と田尻さん

tajiriぜんそく( 民事) 裁判の被告企業であった化学産業メーカーの石原産業四日市工場は、四日市海上保安部の田尻宗昭警備救難課長率いる署員によって、廃硫酸たれ流しの摘発を受け、津検察庁によって刑事被告人となり、津地方裁判所で、摘発以降一○ 年( うち刑事裁判八年) の長きにわたり裁かれ、有罪判決を受けた。

田尻課長は、たった三年間の四日市勤務であったが、年数に関わりなく公害( 刑事) 裁判の主役としていまも語り継がれている。田尻( 宗昭) さんを知ったのは、海上保安部という役所が四日市にあって、そこへ田尻宗昭という面白い課長( 警備救難課長) が転勤で釜石から赴任して来たということ、そのためサツ( 警察) 回りのほかに海保回りも欠かせない日課になったと、若い新聞記者たちが楽しそうに話していたからで、その海保はなにをする役所なのかも知らないでいた。
釜石海上保安部で巡視艇「ふじ」の船長をしていた田尻さんは、四日市海上保安部の警備救難課長として赴任して来た。その頃の四日市は、石油化学コンビナートの加害責任を問う、四日市ぜんそく公害裁判開始の二年目で、ほどなく、コンビナート企業の疫病神になろうとは、本人も、誰も思わなかったであろう。それから三年という短い四日市海保勤めの間に政界を巻き込む騒動の人物になった。

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