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四日市公害を「知る」「見る」「考える」

学習案内表紙

1、 四日市公害について、知る、考えるうえで、欠かせないのは「四日市ぜんそく公害訴訟」(1967年9月1日・提訴 ~1972年7月24日・判決)である。被害者・住民側からみて、この訴訟(公害裁判)を起さなかったら、起しても敗訴していたら、四日市の住民だけでなく、“公害列島”と呼ばれた全国の公害被害地の住民も、もっとひどい被害にあって苦しんだ、自殺者が多発したであろうことは容易に想像される。
 一方、加害者側の火力発電所と石油化学工場のコンビナートも、加害の暴走を「敗訴」することによりとどめ、加害行為を認め、公害対策を採らざるを得なくなった。

 


2013年11月に更新した参考資料です。上記のものの他に、当時の市長の声などがあります。

 

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四日市死の海と闘った

四日市海上保安部警備救難課長 田尻宗昭さんの四日市

澤井余志郎

海保へおもしろい課長が来た 石原産業公害刑事裁判と田尻さん

tajiriぜんそく( 民事) 裁判の被告企業であった化学産業メーカーの石原産業四日市工場は、四日市海上保安部の田尻宗昭警備救難課長率いる署員によって、廃硫酸たれ流しの摘発を受け、津検察庁によって刑事被告人となり、津地方裁判所で、摘発以降一○ 年( うち刑事裁判八年) の長きにわたり裁かれ、有罪判決を受けた。

田尻課長は、たった三年間の四日市勤務であったが、年数に関わりなく公害( 刑事) 裁判の主役としていまも語り継がれている。田尻( 宗昭) さんを知ったのは、海上保安部という役所が四日市にあって、そこへ田尻宗昭という面白い課長( 警備救難課長) が転勤で釜石から赴任して来たということ、そのためサツ( 警察) 回りのほかに海保回りも欠かせない日課になったと、若い新聞記者たちが楽しそうに話していたからで、その海保はなにをする役所なのかも知らないでいた。
釜石海上保安部で巡視艇「ふじ」の船長をしていた田尻さんは、四日市海上保安部の警備救難課長として赴任して来た。その頃の四日市は、石油化学コンビナートの加害責任を問う、四日市ぜんそく公害裁判開始の二年目で、ほどなく、コンビナート企業の疫病神になろうとは、本人も、誰も思わなかったであろう。それから三年という短い四日市海保勤めの間に政界を巻き込む騒動の人物になった。

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1、四日市公害は、水俣と並ぶ戦後公害の原点であり、ノーモアヨッカイチは、日本だけでなく、世界でも知られている公害であり、改善についても、四日市は注目されていて、ICETTに各国から研修に来ている。公害の歴史学習でも外国から来ている。

2、三重県内外からも、小学校5年生が毎年20校以上、四日市公害学習で四日市を 訪れている。大学生や研究者も来ている。その受け入れ場所は、かっての公害激甚校である塩浜小学校と市環境学習センターである。塩浜小学校は、公害に負けない体力つくりにはげんだ「うがい室」や、校庭のほこり除けスプリンクラー、芝生、外周の樹木、それと展望室があり、なによりも、公害被害で校歌の一節を改作したなどの爪跡があり、公害と改善を学ぶに適した場所になっていて、代々の学校長・教頭先生などが、心良く受け入れをしてくれているが、いつまでも余分なご苦労をおかけするわけにはいかない。
 幸い、隣のヘルスプラザは、もともと、かって、県立塩浜病院があり、塩浜地区住民で公害裁判原告患者の入院先であった、歴史を持つ場所であり、塩浜小学校の隣にも位置していて、四日市市長の言う公害学習を行うのに最適の施設である。

① 40年という月日をどう感じているか?
 40年前の7月24日は、四日市ぜんそく公害訴訟判決があった。この日、原告患者の野田之一さんは、裁判所前の仮設舞台で「裁判には勝ちましたが、これで公害がなくなるわけではない、なくなったときに「ありがとう」と挨拶させてもらいます」と言いました。そのとき私は裁判所向かい側の市役所の屋上から写真をとっていました。裁判所前ではたくさんの人たちが「ばんざい」を叫んでいました。その場面を写そうとファインダーをのぞいたところ、敗訴した工場群の煙突からは代わることなく亜硫酸ガスを含んだ煙がはき出されいた。四大公害裁判の中で四日市は現在進行形の公害だった。野田さんは、続いて行われた記者会見で、マスコミを代表して質問したNHK名古屋のアナウンサーに「勝訴判決をもらってなにが一番うれしかったか」と聞かれ、「工場はどこもうちじやないと加害を認めなかったが、判決ではっきりと加害者は工場だと言ってくれた、今後は堂々と公害をなくせと言える、それが一番うれしかった」と言った。
 野田さんは「これからが本当の公害反対運動です。」と、万歳を叫ぶ支援者たちにメッセージを発したのですが、万歳で消えていったことで、野田さんたち公害患者の期待におうじられなかった悔しさを引きずって来ています。

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