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学習案内 副読本

四日市公害を学習するために副読本を作成しました。

四日市公害と人権(副読本)
hyoushi

小学校や中学校で活用できます。

学習案内 CD版

ガイドブック冊子としてまとめたものを、CDに収録したものです。

ガイドブックCD
cd

くさい魚とぜんそく 環境破壊の四日市公害

語り部活動の中で、最近配布している「四日市公害学習案内」を随時掲載していきます。今までのシリーズの中から、抜粋したり加筆したりしたものです。すべてを掲載した時点で、PDF形式のファイルをダウンロードできるようにします。

{tab=公害発生源}
1、四日市公害の主な発生源は、火力発電と石油化学コンピナートの工場群です。
2、塩浜の旧海軍燃料廠跡地に建設された第1コンビナートが本格稼動したのは、心臓部となる三菱油化(現三菱化学)が1959年(昭和34年)6月操業開始からです。
3、その後、1963年(昭38)6月に第2コンビナート、1972年(昭47)2月に第3コンビナートがつくられ、日本で最初の本格的なコンビナートとなりました。
{tab=最初の公害被害}
4、最初に公害被害をうけたのはくさい魚で、伊勢湾の魚は高級魚として出荷されていましたが、1960年(昭35)3月に東京築地の魚市場が「伊勢湾の魚は油くさいので厳重検査をする」との通告を出しました。四日市付近で獲れる魚は100パーセントくさいというデータも出て、漁師たちは大変困りました。
5、くさい魚で大打撃を受けたのは、磯津の漁師さんたちでした。塩浜地区磯津は漁師町で400人ほどの漁師がいました。
6、第1コンピナートとは鈴鹿川をへだてて存在する磯津は、くさい魚のほかに、1961年夏頃に発作で苦しむ人たちが現れ、最初ぱ塩浜ぜんそぐと呼ぱれていました。
7、工場が出来るまではこんな病気はなかった、これは工場が悪いガスを出しているに相違ないと工場を廻って悪いガスを出さないようにと言いましたが、どの工場も「うちではない」と認めませんでした。県、市も同じでした。
{tab=四日市ぜんそく訴訟}
8、1966年(昭41)7月、公害認定患者の木平卯三郎さん(76)が自殺。翌年の6月にも、大谷一彦さん(60)が自殺、公害がひどくなる一方で有効な公害対策がない中、このままでは死ぬしかないのかと、弁護士や支援者のはたらきかけもあり、県立塩浜病院に入院中の磯津の9人が原告となり、隣接する塩浜第1コンビナート6社を被告にした「四日市ぜんそく公害訴訟」をこの年の9月1日におこしました。裁判は津地方裁判所四日市支部でおこなわれ、4年10ヶ月の審理をへて1972年7月24日、「原告患者側勝訴判決」(米本清裁判長)があり、国・県は規制強化、新な法・規制をつくるなどの公害対策がすすみました。この裁判をおこさなかったら、市民はもっと長い間ひどい苦しみを強いられたと思います。
9、ぜんそくをひきおこすSO2(亜硫酸ガス)は、基準が強められたのと、ガスの排出量に応じてお金を出すこととか、排煙脱硫装置取り付けもあり、排出量は減ったり、濃度が薄くなったりで、よくなってきています。大気汚染はこのほかにも地球温暖化ガスの排出などもあり、無公害にはなっていません。

{tab=四日市海上保安部}
10、くさい魚を発生させた汚れた工場排水は、1969年12月、公害取締りの役所ではなく、海の安全を守る役目の四日市海上保安部が、1日20万トンの廃硫酸を四日市港にたれ流ししていた石原産業四日市工場を検挙(その時点で1億トン)、刑事事件になり津地方裁判所で10年におよぷ裁判で被告石原産業は有罪となりました。ぜんそく裁判同様、国・県は規制強化と新たな法律をつくるなどして、各工場の排水対策をすすめ、くさい魚の発生や奇形魚の発生はなくなりましたが、魚の種類も量も激減しています。磯津で400人ほどいた漁師もいまでは100人ほどに、しかも高齢化して、暗い状況です。
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{tab=患者の救済と実態}
11、公害病患者の救済は、1965年(昭40)5月から、四日市市単独の公害認定患者数済の認定制度がはじまり、ぜんそく裁判後は国の制度になり、1988年(昭63)3月から認定制度がなくなるまでの間に2312人が認定され、2006年5月現在512人がいます。空気がきれいになった分、発作の回数がへるなど良くなっているとはいえ、なかには、酸素製造機から各部屋に酸素チューブをはりめぐらしたり、ポケット吸入器をおいたりして発作に備えるとか、酸素ボンベを何本と使用しなくては呼吸できないなどの患者もいます。これまで分かっている限りでは自殺された患者は5人。小学生は4人、中学生は1人がぜんそく発作で亡くなっています。

{tab=公害は差別}
12、ぜんそくはどこにもある病気で四日市特有の病気ではないと、医学ではなっているようですが、四日市ぜんそくは、四日市を離れきれいな空気の所に行けぱぜんそく発作は起きないという特性があります。だったら、四日市を離れればいいということになりますが、磯津の漁師は海辺の磯津に住んでいて成り立つので疎開出来ません。磯津以外でも、それぞれの居住地で生活が成り立っているので疎開はできません。このことと、発病も乳幼児と高齢者に多いことから、公害は差別であり人権問題でもあるといえます。実際にお金持ちに公害患者はいないようです。

{tab=コンクリートの海岸}
13、四日市公害は、くさい魚と四日市ぜんそくのほかに、自然と環境破壊があります。四日市は海辺の町ですが、砂浜の海岸はなく、コンクリートで固められた海岸があるだけで、海水浴場はありません。「コンピナートの工場がくれば四日市は発展する」と市長が言い、市民はそれはよいことだと歓迎しました。市が発展すれば市民も発展すると思ったからですが、そうはなりませんでした。
 わずかに砂浜の残る磯津には、海辺の町特有の樹齢何十年といった松林はなく、街中にも屋根より高い松はありません。この夏も四日市の街中で騒がしい蝉の鳴き声もなく静かな磯津です。

{tab=克服したとはいえない}
14、四日市公害「終結」「克服」を言う人は、被害者側の人ではありません。四日市公害原点の地・磯津が、かっての賑わいをとりもどしたときにはじめて言える言葉です。
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