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カテゴリ: こちら市民塾

市民塾通信「こちら市民塾」№9 7月10日 磯津巡礼

東海テレビの取材に同道というかたちで市民塾3人、磯津巡りとなった。その最大の目的は「お墓参り」。四日市公害訴訟の9人の原告の一人だった瀬尾宮子さんが病院で亡くなったのが1971(昭和46)年7月10日。判決の前年だから39年となる。旧知の今村しづ子さんに案内をお願いして墓地を訪ねた。どの墓石にも真新しい供花が生けられていて、墓を守る人たちの思いの深さが感じられる。しづ子さんは40年も前の磯津二次訴訟に積極的だったし、市民兵の「寺子屋」にもずいぶん協力してもらった。前日の雨天とはうって変わった強い日差しの中で、線香を手向けながら、瀬尾さん一家の辿らざるをえなかった苛烈な道のりを思う。公害のもたらす犯罪は「命を奪う」ことのみにはとどまらなかったのである。合掌。

お墓参りに先立って町内に残る瀬尾さん一家の住居跡(!)を訪ねた。原告の宮子さんが亡くなって夫の清二さんと3人の子どもが裁判を継承し、周知のごとく「勝訴」とはなった。しかし、この一家はさまざまな理由のもとに離散し清二さんも既に亡い。主を失った住居は朽ちて廃れて雑草と柑橘の木が茂っているのみ。愛用のマドロス帽が人なつっこい笑顔によく似合ったのが思い返される。四日市公害訴訟は12人が原告として戦ったのだという歴史的事実を、決して忘れてはいけない、と改めて肝に銘じたのである。

野田さん宅にも寄り道したり交番跡や中山医院を通り、「ここが藤田さん」「ここが喜知松さん」と確かめながらの磯津巡りは、炎暑の中を忘れるほどに高揚感をもたらしてくれた。若き日の懐古といわれそうだが、やはり磯津は「原点」であることが実感でき、さながら「巡礼」の一日となった。