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「四日市公害を忘れないために」市民塾・土曜講座⑩ 。ありがとうございました。
DSCF35611月18日の第1回から六ヶ月。一年の半分以上を経過したことになりますが 「土曜講座」つつがなく終了することができました。最終回の第10回は吉村功さん。既にこれまで紹介したとおり1969年四日市を訪れ約10年、四日市公害と戦う市民兵の会そして『公害トマレ』とともに反公害運動を担ってこられました。この日は若手の榊枝さんの質問に丁寧に答えていただき、独自の価値基準で持論を展開していただきました。人間関係に差別を持ち込まない視点から「先生」との呼称を拒否する。天下国家を論ずるより目の前の問題を具体的にどうするのDSCF3576か。「発生源撤去」は企業や技術者の姿勢が問われる。穏やかながら、やはり「妥協」はしない吉村さんらしさの伺える充実した2時間でした。本当にありがとうございました。
長いようで短かった連続講座。9,10回出席者が6名。6回以上は20名。各講座平均50名で延べ500名の参加。数字だけでなく大きな実りをもたらした講座だったと思います。「語り手」を努めていただいた10名の経験者、そしてそれ以上に頑張って「聞き手」にチャレンジしてくれた10名の若者達。厚く御礼申し上げます。最終回は閉講式を行い表彰もあって和やかな雰囲気のうちに終えることができました。感謝。
○ 「四日市公害を忘れないために」市民の集い2014 7月27日(日)午後1時開始。四日市市本町プラザ1階ホール。田中市長の挨拶や環境部長の説明。市民塾からの報告。そしてメインは富山県立イタイイタイ病資料館長の鏡森定信さんお講演。入場無料。市民塾と四日市市の共催。ふるってご参加下さい。

第2コンビナートをめぐるあれこれ
 2011_0312_130654-DSCF2322四日市公害訴訟は四日市市塩浜地区に存在する「第1コンビナート」を公害発生源として裁いたものでした。しかし四日市には第2・第3と称せられる石油化学コンビナートがあります。塩浜で起きた公害がこの地域にはなかったのか、と疑問が湧いたとしても当然でしょう。市民塾の2月例会ではその問題をとりあげ「勉強会」としました。簡単におさらいをしておきたいと思います。
第2コンビナートの中核をなしたのは「大協石油(現コスモ石油)」でした。1939(昭和14)年新潟県の小規模製油業者8社が、三菱・日石など巨大資本に対抗するため合同をし、四日市市の誘致に乗る形で太平洋側に進出してきたのです。42年(昭17)年4万坪の埋め立て地が四日市製油所のスタートです。四日市旧港の「潮吹き堤防」の外側に立地したのです。(写真右)12_971.8.11
 戦後は連合軍より「工場閉鎖」を命じられますが、朝鮮戦争とあいまって解除となりその「特需」によって生産性は特段に向上。さらに午起に20万坪が埋め立てられて関連企業ができあがり中部電力四日市火力発電所とともに「第2コンビナート」が形成されたのは1961(昭和36)年のことです。そして塩浜と同じような公害問題が発生していきます。判決40周年ということで塩浜の公害に重点が置かれますが、第2コンビのすぐ近く橋北地区にも公害があり反公害のたたかいがあったことを知ってほしいと思います。詳しくは追々お伝えします。(写真左・赤白煙突が大協〈現コスモ〉石油)

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