市民塾通信『こちら市民塾』 №95 (1月28日)
市民塾・土曜講座第2回(2月15日)に向けて
市民塾1月例会報告 ①土曜講座第1回の成果と反省ー60名近い参加者。野呂弁護士のお話によって改めて「四日市公害訴訟」の重みを知る。手弁当も辞さなかった弁護団の働きに敬服。「二次訴訟」が立ち消えとなったことの背景。等々、前半・後半それぞれ60分は実に充実したものとなりました。特に後半は会場から10人に上る質疑が出され関心の深さが感じられました。 ②第2回は岸田和矢さんです。裁判所内の闘いを周囲から支援した「四日市公害訴訟を支持する会」の事務局長を務めていただきました。これまでもあまり表立っては論じられなかった訴訟支援の様子をお聞きすることになります。③四日市市立「四日市公害と環境未来館」につきましては、この24日に造作工事の入札が締め切られ同時に「落札」業者が明らかになりました。詳しくは市のHPに出ていますが、正式決定は3月議会の承認が必要となります。まどろっこしい感じがしますがこの間にオープン後の運営やソフト面の充実を図って欲しいものです。ちなみに、皆さん 資料館オープン」に向けてのポスターを市民サイドで作ってみませんか。いいアイデアお寄せ下さい。
◎土曜講座第「2回のテーマとなります「四日市公害訴訟を支持する会」について少し材料を提供したいと思います。四日市公害訴訟が裁判所に提起されたのは1967(昭和47)年9月1日ですが、その前年8月に名古屋東海労働弁護団と三重県労働組合協議会(県労協)が、訴訟に向けてのだ1回準備会を開いています。つまり、四日市訴訟はそのスタートから労働組合が支援の中心になっていました。さらにその組合は民間会社ではなく公務員の労働組合で01 四日市公害訴訟を支持する集会1  67.11.30した。地方自治体(県や市町村)あるいは公立学校の組合で前者は「自治労」 、後者は「日教組」が全国の元締めとして大きな勢力(多数の組合員)を誇っていました。四日市の場合はその傘下にある「四日市市職員労働組合(市職労)」であり、「三重県教職員組合(三教組)の支部」でありました。双方で当時約5000名の組合員がいましたが、資金カンパや署名集め、あるいは裁判傍聴・集会への参加者動員などに力を発揮することになります。そしてその間、様々な協議が繰り返され第1回口頭弁論が開始される前日(同年11月30日)、「四日市公害訴訟を支持する集会」にこぎつけることとなり、この日をもって「・・・・支持する会」が発足したのです。写真は当日の様子を沢井さんが撮影したものです。実に貴重なショットです。