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趣旨

 公害訴訟を提起、5年間の審理を経て、勝訴したおかげで、四日市公害の改善が図られ、今日見られるような青空の回復、被害者の救済が進んだ。
 原告患者9人 の中で野田之一さん一人となり、80年の生涯の半分となる40周年を経ることになり、判決日「青空がもどったときに、“ありがとう”の挨拶を」と言った状 況が果たされたと言えること、関係者の高齢化もあり、判決集会は40周年をもって終えることも予想される。
 このさい、野田原告患者の“ありがとう”の挨拶 の前に、市民から「“ありがとう”の挨拶」を野田さんに贈りたい。

磯津から知多半島を望む(1/27)DSCF3507
四日市市内の小学校での公害学習(出前授業)を終えて帰りしな、車で野田さんを磯津まで送る。昨年12月で80歳(澤井さんは同8月で83歳)となった。道中いろんな話を聞かせてもらう。私的なことや磯津の町中(まちなか)のこと、また公害資料館を塩浜につくることに反対している自治会長のことなど。野田さんの細やかな気配りが伝わってくる。
この日は晴れていて冷たい西風が吹く。堤防に回ると対岸の知多半島が間近に見える。直線にすれば20㎞くらいだろうか。正面向かって右から「出光興産」「IHI」「中部電力知多火力発電所」「大同特殊鋼」「新日本製鐵」といった重工業地帯が並ぶ。四日市の石油化学とは趣を異にしてはいるが、大気汚染にさらされることに違いはあるまい。名古屋南部はさらに名古屋港近辺に中電西名古屋火力や川崎重工業があり、湾岸道路から見ると「四日市よりひどいのではないか」と思ったりする。向こうからは四日市の風景はどのようにみえるのだろう。
◎ 「四日市公害資料館」建設をめぐって、公害の原点「塩浜」地区の既存施設を転用することについて地元の自治会が反対をしている。情けない事だと思う。それでも「地元」の意見は大事だとして、市長は他の場所への変更を考えているという。いろいろ思うことはあるが、今は静かに事態を見守ることとしたい。

DSCF3475自然破壊はいつまで…ついつい見忘れがちな四日市の現場を久しぶりに回ってみました。

[1]まずは山。西部の小山町にある産業廃棄物最終処分場(三重県環境保全事業団)。当HPでは一昨年(10.11.28付)「産廃はエンドレス」として報告しましたが、処分場建設工事が進んでいます。107万立法㍍という広大な容積のため工事だけで2年かかります。2012年度供用開始といいますから工事はそろそろ終わり4月からどんどん廃棄物(ほとんどは石原産業のアイアンクレイ)を埋め立てる(捨てる)わけです。微量ながら放射性物質も含まれており写真のように密接した民家の群れ。3年5年と経っていったいどうなっていくんでしょうか。単に自然破壊ではすまないように思うのです。

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[2]次は海。「四日市港霞ヶ浦北ふ頭地区道路(霞4号幹線)D・Eブロック舗装工事」との看板が立っていてダンプが行き交い、ブルドーザーが地ならしをしています。昨年、個人的に高松干潟への影響などを考え「県民の声相談室」を通じて工事見直しの意見を提出したのですが、紋切り型の返事が「続行」として届けられました。この写真は霞の北ふ頭側から撮ったもので、遠くに4本の橋脚が立っています。ここにも産業最優先の工事が進んでいます。

最近の活動報告13日(金)午前。環境学習センターにて四日市市・保々小学校の「四日市公害学習会」。この日は「語り部」ニューフェイスとの連携ばっちりでした。いつものトリオに加えて4人が解説活動。100人の小学生を分けて手際よく進みました。 午後。四日市看護医療大学の学生さん6人が立ち寄ってくれました。 14日(土)午前 桜の県環境学習情報センターにて活動報告会。環境11団体が参加。パワポにてプレゼンしました。午後。市環境学習センターにて「準例会」、40周年に向けての話し合い。

新しい年 2012年のスタートです。 日差しは柔らかですが風もなく穏やかな新年の始まりとなりました。十二支は「たつ」。「竜・龍」の字を当てますが本来は「辰」で架空の動物。方位なら東南2011_0208_211043-2011_0205_070606-DSCF2166東、時刻は午前8時頃を示すことになります。昨年は本当に大変な年で「原発事故」という窮極の環境破壊に見舞われました。収束どころかむしろ危機の拡大が懸念されると言った方が正しいくらいです。多くの人々が力を合わせて「原発いらない」と叫びましょう。
さて、ここ四日市の課題は「公害資料館」設立に向けていいよいよ本格的に作業が進んでいくことになります。具体的な「場所」の決定に向かわなければなりません。そして資料の収集・点
2011_12240047検・整理と専門家の知恵も借りなければなりませんし、我々の学習も必要でしょう。忙しくなると思いますが頑張っていきましょう。元旦の毎日新聞(三重版)には恒例の四日市市広告記事があり、その中に次のような記述があります。 「今年は四日市公害訴訟判決から40年です。過去の公害を改めて反省し、二度と同じ過ちを繰り返さないよう、公害の歴史を次世代に継承するとともに、市民の皆さん、企業、行政が一体となって取り組んできた環境改善のプロセスや現在の四日市の姿を全国に情報発信する拠点として、「(仮称)公害に関する資料館」の整備を進めます。」 
 
◎ 「公害市民塾」 当面の動き
環境学習センターマンスリー展示(1月中)  ・四日市市内教員対象「公害学習講座」 (5日9時 塩浜小学校)

1、四日市公害は、水俣と並ぶ戦後公害の原点であり、ノーモアヨッカイチは、日本だけでなく、世界でも知られている公害であり、改善についても、四日市は注目されていて、ICETTに各国から研修に来ている。公害の歴史学習でも外国から来ている。

2、三重県内外からも、小学校5年生が毎年20校以上が四日市公害学習で四日市を訪れている。大学生や研究者も来ている。その受け入れ先は、かっての公害激甚校である塩浜小学校と一部環境学習センターである。塩浜小学校は、公害に負けない体力つくりにはげんだ「うがい室」や、校庭のほこり除けスプリンクラー、芝生、外周の樹木、それと展望室があり、なによりも、公害被害で校歌の一節を改作したなどの爪跡があり、公害と改善を学ぶに適した場所になっていて、代々の学校長・教頭先生などが、心良く受け入れをしてくれているが、いつまでも余分なご苦労をおかけするわけにはいかない。
幸い、隣のヘルスプラザは、もともと、かって、県立塩浜病院があり、塩浜地区住民で公害裁判原告患者の入院先であった、歴史を持つ場所であり、塩浜小学校の隣にも位置していて、四日市市長の言う公害学習を行うのに最適の施設である。

3、そうした施設利用場所のほかに、名称も重要である。新潟に「新潟県立環境と人間のふれあい館」という施設がある。四大公害裁判の一つとして「新潟水俣病資料館」を建てるとなったとき、地元から「イメージが悪い」との声が出て、聞いただけではなんの資料館かわからないので、せっかくの資料館の利用者が少ない、近年サブタイトルで「新潟水俣病資料館」と付けるようになり、来館者が増えてきたようで、四日市では、「ノーモアヨッカイチ」は世界語になることもあり、正直に「四日市公害資料館」と命名すべきである。環境学習はどこでもできるが四日市公害学習は四日市でなければならない。

4、小学校5年生の社会科で「四大公害」の単元があり、6年生の修学旅行で、県外の小学校から、「修学旅行で伊勢志摩へ行くが、三重県といえば四日市公害があったところで、復習を兼ね、半日四日市現地で学ばせてやりたいので語りべをしてほしいと滋賀県の小学校から公害市民塾へ依頼があり、3校ほどボランテア活動をしたこともあり、水俣病資料館にならって受け入れを考えることもあっていい。

5、なによりも、四日市公害発祥の地の塩浜地区住民の公害患者が、地元住民の支持が薄い中、病苦をおして5年間がんばって「勝訴判決」を勝ち取り、公害対策を根本的におしすすめる原動力になった事実は高く評価されてしかるべきものであり、四日市公害の聖地、塩浜に公害資料館はもっともふさわしいといえる。

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