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 仕事の関係で、四日市市を離れて生活しているところに突然の訃報が入り、言葉を失いました。何をどう考えたらいいのか整理がつかないまま日数がたってしまいました。

 山本さんとの出会いは市民塾に入ってしばらくしてからだったと思います。自分の考えをはっきりとを言い、公害に対する熱い思いが伝わってきました。闘う思いをもった方だなあという印象でした。最近では、同じサッカーチームに籍を置き、一緒にボールを追いかけました。とてもサッカー歴が浅いとは思えないポジショニングで、左サイドからの攻撃を仕掛けていました。練習が終わるとよく「この後、語り部があるんや!」と汗を拭きながら笑っておられました。

 野田、澤井、山本の語り部トリオが生まれ、小学校に出前講座に行くと、「加害者側のコンビナートの人が語り部におる!」と小学生が騒然とすることもありました。しかし、山本さんの語りを聞く中で、子どもたちはどうして山本さんが語り部をしているのかを理解していきました。

 山本さんは語り部講座の中で、事実を語り継ぐことと被害者の視点を持つことが大切であると話されました。たとえ、四日市公害の当事者でなくとも、被害者の方の話を聞いたり、学習を積み上げたりすることで、当事者としての感覚や新しい気づきを持つことができると話されていました。この考え方は、トリオに共通しているとても大切なことだと思います。

 公害がひどかった当時を学習するときに「それぞれの立場の人(加害者側も含め)の考えや思いを知り、客観的に当時のことを学習させることが偏った考え方にしないために必要だ。」と言われることがあります。本当にそうでしょうか。被害者の視点を加害者と同等のものとして取り扱うべきでしょうか。「みなさんの生活がより便利で豊かになるために、あの公害は必要だった?私たちが犠牲になったということです。」という野田さんの言葉を思い出します。

SDGs、持続可能な社会という新しい考え方がもてはやされています。しかし、四日市公害を学べば、これらの考え方の原点はすでに生まれていたことがわかります。公害→環境→SDGsと言葉が変わっても貫かれる柱は何も変わりません。

 四日市公害裁判判決50周年となる年に、山本さんが亡くなったということは大きな損失であることは変わりありません。当事者でない私に何ができるかを改めて問われている気がします。このホームページの資料も膨大なものとなりました。当事者性を持つことができる「学習案内」について、もう一度整理してみたいと思います。山本さんのご冥福をお祈りいたします。