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四日市市長森智広様

2022年3月16日
四日市再生「公害市民塾」

 日頃は四日市市政に精力的にご尽力いただきありがとうございます。
 さて、先般、発表されましたカーボンニュートラル(脱炭素化)に関する四日市市の方針に関しまして、下記のように要望させていただきますので、誠意あるご対応をお願い致します。
 去る8日、記者会見にて「カーボンニュートラル」に向けて検討委員会の設置と関連予算 (2,090 万円)を計上されたとの発表がありました。このことは市の積極的な姿勢として評価したいと思います。しかしながら、報道によれば森市長は、その運用に関しては「産業の成長」を優先し、「排出量の規制」は最後になると発言をされています。果たしてこれでは本来の目的を実現できるのでしょうか。
 本年は「四日市公害訴訟」判決 50年となります。ご存じのように四日市公害は戦後の経済成長の波に乗り、公害対策をおろそかにした結果発生しました。判決は被告企業の責任を認め「経済性を度外視」してでも、公害対策に努めるべきだと指摘しています。また行政に対しても立地上の責任を言及しています。この訴訟を契機として法規制は強化され企業努力もあって、現在の「青空」が四日市によみがえったという歴史的事実を忘れることはできません。

 当時の三重県知事田中覚氏は大気汚染対策として「総量規制」を導入しました。硫黄酸化物の基準値を国の規準 (0.04ppm)よりも厳しい 0.017ppm にするというものでした。排出量にして3分の1に削減するという厳しい内容です。当然、関連企業の反発は大きかったのですが、田中知事は押し切ったのです。実際に判決を契機に三重県公害防止条例を制定し、四日市地域(四日市市・川越町・朝日町)の事業所を対象に規制を強化しました。その結果、1977(昭和 52)年に上記の環境基準を達成することができました。現在では 0.002ppm という数値が日常的な状態となっています。
 この三重県での取り組みは全国に波及し 1974(昭和 49) 年には国の「大気汚染防止法」改正へとつながり、総量規制が日本全体に広がったことは周知の事実です。
 以上のように、四日市市は「公害の被害地」から「公害対策の先進地」として大きな役割を果たしてきましたが、今般の森市長の発言は歴史ある環境行政に逆行することになります。ここに以下のように強く要望します。

1, カーボンニュートラル検討委員会のおいては、まず 2050 年「実質ゼロ」に向けて具体的目標値を設定し、もっとも大きな比重を占める石油関連企業の役割を明確にするなど、積極的な方向性を明確にすること。

2,施策の実施については環境部とも連携した態勢をつくりあげること。

3,委員会メンバーを明らかにし、会議も常に公開されたものとし、会議で用いられた資料は広く公開されること。
森市長におかれましては企業に対しても指導性を発揮し、よりよい四日市の実現に向けて奮闘されることをお願い致します。

四日市再生「公害市民塾」
(責任者:伊藤三男)